「そうじゃ。代理神の半神だった里桜(りお)よ」

 ふたつ名で里桜を容易く縛ると、至高神は烏羽色に戻った里桜の髪を慈しむように撫ぜはじめる。

「……なぜ、至高神自らお出でに?」
「そっちが妾を探しておったのだろう? 大神殿の奴らが騒いでおったぞ。どうにも大樹(ひろき)のことが気になっているようだの?」

 その発言に、里桜の揺らいでいた瞳の動きがぴたりと止まる。

「大樹さまはどちらに!」

 少女は必至な形相の里桜を楽しそうに一瞥し、つまらなそうに応える。

「あやつはもはや代理神になることは叶わぬぞ」
「……あたくしが、逆さ斎のちからを奪われてしまったからでしょうか」

 完全に術がかけられたわけではなさそうだが、里桜は自分の烏羽色の髪を忌々しげに指で掬って至高神に確認する。

「いや。里桜のそれは大した問題ではない。逆さ斎でなくなれば紅雲の娘に戻るだけ、竜頭が意識を覚醒したいまなら妾からすればどっちでもよい。問題は大樹じゃ。すべてのはじまりはあやつが、『天』の加護を手放したから……ま、そのおかげで妾は眠りつづけておった莫迦息子に再会できるわけだがの」
「え」

 ――大樹さまが至高神に与えられた『天』の加護を自ら手放した?

 だが、至高神はさらりと話題を変えてしまう。終わってしまったことを今更口にするのも莫迦らしいと言いたげに。

「そうそう。雲桜の裏緋寒と呼ばれる朱華(あけはな)と呼ばれる女子(おなご)……里桜、おぬしとも因縁があるのだったな」

 しかも裏緋寒の番人に愛され、記憶を操られているという。おまけにその月の影のなりそこないの逆さ斎は彼女を自分だけのものにするために自ら幽鬼となったとか……

「さすがに騒がしくて竜頭も目が覚めるだろうよ。だがの、あやつがそう簡単に花嫁を娶るかねぇ……雲桜を滅びへ導いた娘を、好き好んで、のぉ?」

 他人事のように、いや、他人事だからか、少女の瞳は愉快そうにきらきらと輝いている。その色は、蒼穹を彷彿させる、真っ青な、空の天色(あまいろ)

「里桜よ」

 ふたたび、名を縛りつけられ、里桜は至高神が降臨している少女の前に、跪かされる。けして死ぬことのない最強の、最凶の神は、代理神という役割を担っていた半神の逆さ斎に、取引をもちかける。

「裏緋寒のためにと遺した花王の、強大な加護のちからを、おぬしは欲しいと思わないかえ?」

 雲桜の花神、茜桜が自分の神嫁にしようと産まれた頃から莫大な加護を注ぎ込んだのが、カイムの姫巫女の娘、朱華だ。だが、彼女が禁忌を犯し、集落を滅ぼすきっかけを作ったことから至高神は彼女のちからの大半を預かることになったのだ。亡き息子が遺した言葉通り、彼女が成長するまでの封印を行い、カイムの裏緋寒として、神以外のモノに奪われないよう、番人を選択して……まさかその番人が至高神を裏切るとは、彼女も考えていなかったのだろうが、その程度の計算違いはたいして問題でもないのだろう。