朱華は夢を見ていた。
 いつもと同じ、茜桜の夢。
 けれど、朱華はこの夢が、いつもと異なることに気づく。
 まず、自分が身につけている装束が、白い。そして、桜の花が、ほんのり薄紅色に染まっている。

 ――紅雲の娘が来たわ。花王に愛でられし娘が来たわ。
 八重桜の木の上空から囁かれる声も、ふだんより明瞭で、ひとつひとつの言葉が耳元まで飛び込んでくる。この声は、花神の御遣いである帰蝶さまだろうか。

「……いま、何を」

 そこまで考えて、朱華は唖然とする。なぜ自分は茜桜の御遣いの名をあたりまえのように思いだせたのだろう。それより、茜桜はどこにいるのだろう。いつもの夢なら、すでに茜桜は朱華の前に現れて、いつもと同じ言葉を語りかけてくるはずなのに。

「誰も、いないの?」

 純白の袿をはためかせながら、朱華は茜桜の姿を探す。いない。
 ――花王に愛されたフレ・ニソルの裏緋寒、貴女は誰を、探しているの?
 そのかわりにきこえてきたのは、謳うような女性の、帰蝶と呼ばれる茜桜の御遣いの声。
 朱華が声のする方へ顔を向けると、ひらひらと虹色に輝く蝶が天空に舞っていた。

「帰蝶さま、茜桜がどこにいるか、わかる?」

 すると、虹色の蝶はまたたく間に形を変え、朱華よりすこしだけ年上の、二十歳前後の女性の姿に変化する。藍色の、夜空を彷彿させる長い髪は、水引でひとつに結いあげられている。そして、夜空の星のような白銀の瞳が、朱華の菫色の双眸へ目を止める。白い衣をまとっただけの姿なのに、神々しさを感じさせる容姿だ。
 土地神の御遣いと呼ばれる精霊は、ふだんはちいさな動物の状態で、神の傍から離れないでいる。けれどいま、帰蝶の傍に、花神はいない。だから彼女は人型に姿を変えたのだろうか。朱華と直接、話ができるように。

「貴女がそれを、わたしにきくの?」

 わたしの方が、知りたいわと帰蝶は悲しそうに呟く。花神の御遣いである虹色の蝶は、帰る花の姿を失い、彷徨っているようにもみえる。

「茜桜は、もう、完全に死んでしまったの? 唯一の例外だった、貴女の夢にも、現れないなんて……」

 帰蝶は途方に暮れたように、朱華に問いかける。朱華はわからないと首を振り、細々と言葉を繋ぐ。

「……茜桜が幽鬼に殺されたから、雲桜は滅びた。それは夢じゃない。現実。だけどあたしの夢のなかでは生きているかのように、語りかけてくれた。つい、先日まで。ねえ、貴女もずっと傍にいたのでしょう? 帰蝶さま」