「謝るのは俺にじゃない。お前が先の裏緋寒(・・・・・)と混同した彼女に謝れ」
「……そうだな」

 星河は夜澄に背中から手をまわされ首根っこをつかまれてじたばたしている朱華に向けて「申し訳ない」と丁寧に謝罪する。朱華は首をぶんぶん横に振って気にしていないよと微笑する。そもそも自分が湖に突き落とされそうになっていたことすらわかっていなかったのだから自分の方にも非がある気がしないでもない朱華である。

「あたしは、夜澄が止めてくれたから大丈夫だよ。星河は、前世の記憶に苦しめられているだけなんだろうし……」
「ありがとう」

 朱華の言葉に頷いて、星河は瞳を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、竜神の生贄になった先の裏緋寒の乙女のこと。星河が生まれる前の出来事なのに、自分はすべてを色鮮やかに思い起こすことができる。それは自分が前世の記憶を持って生まれたからなのだろう。夜澄はそんな彼の前世すら知っている。彼が苦難の末に彼女を湖へ突き落したという現実を。
 星河はあのときの彼とは違う。けれど、里桜に拒絶された彼女が自分を信頼してくれているという事実が、星河と星河の前世の境目に割り込んで、あのときのような状況を無意識のうちに作りだしてしまった。慌てて夜澄が止めに来たのもきっと、裏緋寒の乙女が気になったからだけでなく、星河の危なっかしい状態を事前に察知していたからだろう。


「……だが夜澄。お前はどうなんだ?」


 湖からひとり離れた星河は、相変わらず夜の湖に目を奪われている朱華と彼女を護るように隣に立つ夜澄の後ろ姿を見つめながら、ぽつりと呟く。
 桜月夜と緋寒桜の恋は、神々に認められていない。
 前世の星河は当時の裏緋寒の乙女と恋に落ちた。禁じられた恋は至高神に暴かれ、代理神によってふたりは罰を受けた。その罰は、恋人を竜神が眠る湖に生きたまま投じるというもの。


水兎(みと)


 竜神の花嫁として生きたまま湖底に消えた少女の名は、自分たちが生まれ変わったいまも、刻みつけられてしまったかのように忘れることのできない記憶。この記憶があるから、星河は桜月夜として代理神の傍から離れることができずにいる。永遠にも似た時間、誰からも赦されることなく、いまも密やかに生きつづいている罪を、星河は背負っていた。
 もし、夜澄が朱華にそのような想いを抱いたのなら。それを止めるのは、自分しかいない。