そんな未晩が、神殿に乗り込んできたら……大樹がいない、竜頭が眠ったままの状態で対抗するのは厳しいだろう。そう指摘されて、星河の表情が青くなる。

「……それは」
「ま、記憶がない状態でも要はちからを引き出せれば問題ないのよね? 土地神の加護の大半は至高神が預かっているみたいだけど、それでも彼女はひととおりの神術は扱えるみたいだから……花残月の到来を待たずに竜頭さまを起こすしかなさそうね」

 なぜか土地神の加護が封印されている裏緋寒。しかも神嫁を護るため至高神から命を受けた番人は彼女を自分のモノにするため記憶を改竄している。おまけにその番人は封じこんだはずの闇鬼を飼いならしている逆さ斎……幽鬼を倒せるちからを持つはずの逆さ斎が、自ら闇鬼を利用しているという現実に、里桜は唇を噛みしめる。

「闇鬼に堕ちていないのを考えると、その逆さ斎、ほんとうに裏緋寒のことしか想ってないのでしょうね……」

 神嫁に定められた裏緋寒の乙女。彼女は至高神に認められた神にしか嫁ぐことが許されない。だというのに、未晩は彼女を愛してしまったのだ。神に背いて、封殺すべき闇鬼を残してまで。
 そして裏緋寒の乙女も、番人である彼と、婚姻を結ぶことを了承していた……記憶が改竄されたと知らされたいまも、彼女は彼を恨んでいない……なぜだろう、里桜は首を傾げる。
 まずは彼女と顔を合わせるのが先だろう。記憶を戻せるかはそのとき判断すればいい。


「――興味深い人間だわ。裏緋寒も、その逆さ斎も」


 妖艶な笑みを浮かべる里桜を見て、星河は顔を強張らせる。
 時折見せる彼女には似つかない大人びた微笑みは、星河にとって、途方もない苦労のはじまりを示す印なのだ。そして今も。

「颯月と夜澄に伝えなさい。今宵。代理神が、花嫁を見定めると」

 記憶を失ったままの裏緋寒の乙女――朱華をすぐにでも竜神の花嫁にしようと、立ち上がる。たとえ半神の状態であっても、彼女がいま、この竜糸の土地神であるのは違いない。
 結界を糺し、竜糸を護るため、彼女は動く。

「眠れる竜神を起こし、かの地に入り込んだ悪しき幽鬼を囲い討つ。いまこそ、あたくしの積年の無念を晴らしてやる……っ!」

 幽鬼を狩るためなら手段を選ばないその姿は、カイムの地を統括する母なる至高神のようだと、星河は跪き、彼女に従順する。
 たとえ彼女の心の奥底に、闇鬼を躍らせる復讐の念が、しずかに燃えていると知っていても。