――雲桜は、いまから十年前に滅んだ、『雲』の集落の名前。

「――ああ」

 息をのむ。半ば強引にこじ開けられていく記憶の抽斗から、ぽろりぽろりと朱華の脳裡に断片が溢れだす。いまから十年前。朱華の両親は竜糸を襲った流行病で死んでしまったと未晩は言っていたけれど……それは、嘘だ。
 雲桜の花神。朱華は彼のことを知っていた。茜桜。彼こそが、自分の生まれ故郷の土地神。

「竜糸の竜神、竜頭は、茜桜と親しかった。だから、雲桜が幽鬼によって滅ぼされた際に、神殿は落ち延びた『雲』の民を匿った。当時の代理神は加護を失った彼らに『雨』のちからを分け与えたため、彼らはちからの弱いルヤンペアッテとなった」
「……あたしも、そのルヤンペアッテの加護を少しだけ分けてもらったんだね」
「だが稀に、土地神が死んでも産まれた集落の加護を失わない人間もいる。お前の『雨』の加護のちからが微弱なのは、『雲』の加護を失うことなく竜糸の地に辿りついたからだろう」
「土地神が死んでも、加護が消えないなんてことがあるの?」
「雲桜が滅んだとき、竜糸では流行病が蔓延していた。『雲』の加護は治癒術に秀でていることから、代理神は加護を失わずに済んだ『雲』の生き残りに病の治療をさせたのさ」

 未晩が朱華に言っていた、竜糸で十年前に起きた流行病というのは嘘ではなかったようだ。うん、と頷く朱華に、夜澄は自嘲するように言葉をつづける。

「神殿は集落を失った難民を引き取るかわりに、『雲』のちからを自分たちのものにしようとした。でも、それは一時的なものでしかなかった。『雲』のちからは『天』に等しくときに世界を動かすんだ。竜神が眠った状態で竜糸の神職者たちが求めてはいけないちからだったのさ」

 世界を動かすといわれる『雲』のちから。そして、それを欲した竜糸の神殿勢力。けれど、夜澄の言葉は、『雲』のちからを神殿が取りこむことに失敗したことを示していた。

「それってどういう……」
「病の終息とともに、『雲』のちからを持っていた生き残りが死んでいった。病人が持っていた瘴気が、集落を滅ぼされた悲しみに暮れていた彼らの心を壊したのさ。彼らは闇鬼になる前に自ら命を投げ出していった。『雨』に縋ろうとせず、潔く散ってゆく姿はまるで人身御供のようだった……」

 神殿は『雲』のちからを利用するために彼らを受け入れただけで、彼らが瘴気に倒れようが、自分たちの治癒術があるのだからとあえて救おうとはしなかったという。だが、さっき夜澄が言っていたように、自分で自分の傷を術で治癒する行為は、ときに自殺行為に発展する。
 そのことを知らないまま、竜糸の神職者たちは、『雲』が病のもととなる瘴気を絶ったのち、つぎつぎと死んでいく姿を目の当たりにして、ようやく自分たちの間違いに気づいたのだ。

「そんな……」
「雲桜が幽鬼によって滅ぼされて十年。神殿が知る限り、竜糸に辿りつき『雲』の加護を持っていながらそのちからを使える人間は、もう誰もいないとされていた。だが、そうではなかった」

「それが、あたし?」