「どっちにしろ、竜頭を起こさないと話にならねーからな」
「……竜神さまを起こすのね」

 代理神不在による不測の事態に、神殿は眠れる竜神を起こそうとしている。そのために連れられてきた朱華は、闇鬼に襲われた時点でようやくことの重大さを理解した。

「ああ」
「あたしなんかが神嫁の役割を果たせるの?」
「茜桜が遺したちからの封印が解ければ、なんの問題もない」

 当り前のように彼は茜桜の名を口にする。朱華はいつ彼に茜桜のことを話しただろうかと首を傾げながらも頭上から降ってくる声から耳を離さなかった。

「未晩とかいう逆さ斎はお前から茜桜のことも忘れさせようとしたようだが、さすがにそこまではできなかったようだな……加護を偽らせるのが精一杯か」

 夜澄は周囲に誰もいないからか、ずいぶんと饒舌になっている。朱華は事情をよく知る彼から零れる思いがけない情報に声を荒げ、椅子から立ち上がっていた。

「なんでそこで師匠がでてくるの? っていうか加護を偽るって何?」
「お前、まだ気づいてないのか?」

 夜澄は呆れたように声をあげ、朱華の耳元に囁きかける。

「お前の真の加護は竜糸の『雨』なんかじゃない。逆さ斎が騙していただけだ」
「――ルヤンペアッテじゃない?」

 竜糸の地で生活している華にとって、自分が『雨』の民ではないという指摘は信じがたいものだった。だが、そう言われてすんなり納得できる部分も確かにある。なぜなら朱華は集落の源である『雨』の加護術を上手に扱えないのだから。

「……じゃあ、あたしの加護は何? もしかして、茜桜って」
「茜桜は雲桜を統べていた花神の名だ。それも忘れたのか?」
「え、雲桜……?」

 その土地の名には覚えがある。けれど、どうして覚えているのかはわからない。思い出そうとするとあたまのなかに霧がかかってしまったかのように見えなくなって、頭痛を引き起こしてしまう。夜澄はその記憶も操作されているのかと溜め息をつき、ゆっくりと応える。


「雲桜は、いまから十年前に滅んだ、『雲』の集落の名だ」