「まさかこんなところまで鬼が侵入しているとはな」

 颯月に助け出された朱華は悔しそうに呟く夜澄の言葉に顔を向ける。

「えっと、それってどういうこと?」

 氷の刃によって切り裂かれた袿をぎゅっと抱きしめて、朱華は尋ねる。夜澄は自分が着ていた白い浄衣を無言で脱ぎはじめ、ひょいと朱華に投げつける。

「そんな恰好でうろちょろするな」
「……す、すいません」

 闇鬼に襲われた朱華の恰好は見るも無残な状態になっている。長身の夜澄の浄衣を受け取った朱華は慌てて被り、素直に謝る。

「いえ。謝るべきなのはわたしたちの方です。神殿内におられるからと貴女をひとりにしてしまい、このような目に合わせてしまうとは……」
「ごめんね。もうこっちに来てるとは思わなかったからさ」

 どうやら桜月夜は朱華がまだ雨鷺とともに身支度をしていると思っていたらしい。そのため里桜との面会の場に入る前に別の場所で一仕事していたようだ。そこで闇鬼の気配を感じた颯月が飛び込んできたということだろう。朱華は平気だと首をぶんぶん振って言い返す。

「あ、あたしは大丈夫です! こう見えても神術はひととおり取得してますし、身のこなしだってふつうの女の子に比べたらぜんぜん」
「震えてる癖に何強がってんだよ」

 小声ながらも厳しい夜澄の言葉が投げつけられ、びく。と、朱華の肩が反応する。けれど、その声はすでに闇鬼に堕ちた少女の処遇について話しはじめた他の桜月夜の耳には届いていないようだ。

「そ、そんなこと……」

 慌てて夜澄に反論しようとして、朱華は言葉を切る。夜澄の琥珀色の瞳が、険しく揺れていた。

「神殿内には竜頭……竜糸の竜神さまの名だ……の花嫁に選ばれたお前のことを素直に受け入れられない人間もいる。それに、瘴気を塞ぐ結界が緩んでいることもあって、この神殿にも悪しき気配が侵入しやすい状態になっている。さっきお前を襲った巫女はお前さえいなければ自分が竜頭の花嫁になるのだと潜んでいた闇鬼に囁かれでもしたのだろう」

 神殿に仕える巫女は土地神にすべてを捧げる運命にある。彼女たちが土地神の花嫁に選ばれることもあるため、年若くして巫女となった少女は自分こそ土地神の後継を産むのだと決意し必死に恋慕の情を傾ける者もいるという。さきほど朱華を襲った少女も、そんな土地神を一途に愛するが故に闇鬼に心を奪われたのだろう。朱華は黙って項垂れる。「闇鬼に囚われ自我を奪われた人間を根本的に救えるのは神だけだ。さっきの巫女は颯月が一時的に抑えたが、あれだけ凶暴になると払っても再び嫉妬や憎しみ、殺意の情を糧に悪化する可能性が高い」

 ぐったりした巫女を担いだ星河と颯月が「先に行ってるぞ」と声をかけてそそくさと出ていく。残された夜澄は軽く頷き、黒檀の扉をゆっくりと閉じる。驚く朱華に「大事な話だからな」と夜澄は厳しい表情で見つめてくる。