父代わり、兄代わり、そして恋人代わりとして傍においてくれた未晩のことを想い、朱華は苦笑する。
 自分の身に封じられている神の加護のちからを独り占めしようとしていたから、彼は朱華の記憶を改竄したのだと、桜月夜は言っていたけれど……

 朱華の思考を遮断するように、かん高い足音が響く。里桜が来たのだろうか? だが、それにしては、足音が早急で、なんだか、緊迫感さえ感じさせる。いくら半神を失った代理神だからって、こんな風に激情で行動を起こすとは考えられない。
 乱暴に扉が左右に開く。そこから一気に雪崩れ込んできたのは……

「――瘴気!」

 静謐な空間を侵食するように黒い靄のようなものが朱華の周囲に集まっていく。真っ白だった室内が一瞬で黒く染まり、朱華の視界を覆いつくしていく。
 咄嗟に朱華は神術で風を起こすが、瘴気の量が多すぎてとてもじゃないがすべてを払うことができない。このままでは身体のなかに瘴気が入り込んで、病気を発症したり、精神を毒され鬼に取り込まれてしまう可能性がある。
 そもそも、神殿内でこれだけの瘴気があること自体、異常だ。

「な、なんで……?」

 唖然とする朱華に、鋭い声がかけられる。

「貴女が邪魔だからよ。裏緋寒の乙女」

 目をこらして正面を見つめると、そこには白い浄衣に緋色の袴を着た少女が立っていた。神殿に仕える巫女のひとりだろう。朱華が少女に気づいたのを見て、ふんっと少女は嘲るように鼻を鳴らす。
 そして、朱華が唱えたのと同じ、風の古語を唱える。
 瘴気は一瞬で霧散した。だが、その瘴気を浴びた少女の瞳が禍々しいまでの赤へ色を変えていた。

「……闇鬼」

 負の感情に引きずられて生まれる瘴気を糧に、人間に寄生し支配する異形のモノ。
 一説には幽鬼が神々に対抗するために生み出したとも言われる、心の闇を巣食う鬼。
 それが、目の前の巫女装束の少女に、憑いている(・・・・・)。未晩のように、飼いならしているのとは違う、すべてを喰われて自分を見失った状態だ。
 血のように赤黒い双眸が、朱華を睨みつける。獲物を見つけた闇鬼は妖艶な笑みを浮かべて襲いかかってきた!

「竜糸の土地神であられる竜頭さまの花嫁など、認めるものか!」