竜頭(おとうと)の方が素直に里桜を妻神に望んだぞ、と小声で加えられ、夜澄は苦笑する。

「わかったよ……」

 不承不承、膝を折り、夜澄は至高神が乗り移った氷辻の前に跪く。


「勇ましき創世の大神、唯一神が海神を妻とし産み落とした天の姫神、我が母神――賀陽(かや)よ」


 カイムの土地に神を宿らせた母なる天神の真名を乗せ、夜澄は穏やかに紡ぐ。


「弟神佳国(よしくに)とその末裔(すえ)たる皇一族よ、雷蓮を治めた我が選びし紅雲の裏緋寒を、蛇神たる我が咲き誇る菊桜のごとく愛しい朱華(あけはな)を想いし心を受け入れよ」


 それはやがて古語となり、ひとつの恋歌となり、吟じられた想いは雷神としての夜澄が目の前で眠る少女を己の妻神(めがみ)に望む懇願へとうつろいでゆく。
 硝子窓越しに柔らかな風が菊桜の花木を震わせ少女と同じ名の色彩を宙へ解き放っていく。それはまるでかつての彼女がちいさな白い蛇だった夜澄を救うために禁術を唱えたときのよう。

 あれから十年。
 今度は夜澄が彼女を呼び戻す。
 至高神に頭を下げて、必死に。


「I ram karap te〈あなたの心にそっと触れさせてください〉!」


 夜澄が放電した白い閃光に、至高神が手を翳す。そこから一瞬、現れたのは虹色に煌めく美しき蝶――あれは、帰蝶? なぜ、この世から消滅した花神の御遣いが? 困惑する夜澄を余所に、七色の蝶は眠りつづける朱華のなかへ滑り込み、すぐさま弾ける。


「――償いおったか、茜桜の蝶々よ」


 どこか安堵したような至高神は、ぽかんと口を半開きにしたままの夜澄の肩を、思いっきり叩く。勢いよく叩かれつんのめった状態で、夜澄は朱華が眠る寝台に倒れ、木枠にぶつかるのを覚悟して瞳を閉じる。


「――……?」