「彼女を助ける? なぜ妾が冥穴(めいけつ)に招かれた彼女を救わねばならぬのかえ? 雲桜を滅ぼすすべてのはじまりは、彼女の禁術にあるのだぞ? おぬしもわかっているから、誰にも助けを乞わぬのだろう?」
「ええ。至高神さまのお手を煩わせるようなことは一切いたしません。花神さまが預けられたあたしのちからは、明日になれば返されるのでしょう? ならばこのまま、一晩でも耐えてみせます」

 至高神を召喚したいま、朱華は自らのちからで浮遊することができない。だが、茜桜が生まれたときに授けてくれたちからを、至高神が返却してくれれば、彼女は自分でこの穴から抜け出すことが可能になるのだと暗に告げ、挑むように菫色の瞳を輝かす。

「一晩か。幽鬼に逆襲されるには充分な時間だと思うがの」

 冷静な至高神の応えに、幽鬼が同意する。この状態で一晩をやりすごすというのは朱華が体力を削り、自分がちからを回復させる可能性を高めるだけだと言いたそうに、首を振る。
 その瞬間、桜の枝が軋み、ぐらり、と朱華の身体が揺らぐ。

「あけはな!」

 悲痛な夜澄の声を無視して、朱華は笑う。

「そうですね。一晩は無理。ならば、あたしが終わらせましょう」

 そう言って、至高神に目くばせする。天色の瞳は、わかっておると、頷き返す。

「Ikorsokkarne kor kamui posomi sapte……〈最も尊き神剣よ……〉」

 ――茜桜、帰蝶さま、ごめんなさい。あたしが無知だったから、故郷を滅ぼす原因を作ってしまった。幽鬼を集落に、招いてしまった。
 けれど、あたしがしたことは間違っていない……と思う。あたしが甦生術をつかわなかったら、夜澄は……あたしにとってのかけがえのないひとは、いま、ここにいないのだから。

「朱華、何をする気だっ!」

 幽鬼が抗うのも気にせず、朱華は長い詠唱を朗々とつづける。至高神が宿った里桜の両手には、三日月のような鋭い剣が編み出されていた。

「師匠、ごめんなさい……ありがとう」

 幽鬼になってしまった未晩に、朱華は呟く。突然注がれた言葉と、突き放された感覚に、幽鬼は目を見開き、愕然とする。ふわりと宙に浮かび、導かれるように朱華のところへ飛んできた剣は、ためらうことなく肉を切り裂き、骨を砕いていたのだ。幽鬼がしがみついていた、朱華の左腕を(・・・・・・)


「さよなら」


 詠唱を終えた朱華は痛みを感じさせないさっぱりとした表情で、斬り落とした左腕を握ったまま、奈落の底へ堕ちていく幽鬼の王に、別れの言葉を送る――……