「ちょっと颯月! どうしちゃったのよ!」

 虚ろな瞳の颯月を、茄子紺色になった里桜の双眸がきつく射抜く。

「里桜さま……?」
「幽鬼に言われるがまま、身体を奪われるなんて、それでもあなた、桜月夜?」

 竜神さまが起きたいま、代理神としての役割はもうないけれど。里桜にとって代理神を支えてくれた桜月夜は、誰が欠けてもいけない、かけがえのない存在。そのうちのひとりが、苦しそうに幽鬼に従おうとする姿を、放っておけるわけがない。

「表緋寒の元逆さ斎よ。こいつの父親は幽鬼だぜ? 幽鬼の王たるオレが真実の名を呼べば、素直に従ってくれるいい人形なのさ。未晩の莫迦はオレよりこいつの方が強いちからを持っていると勘違いしていたがな……なんなら涯、その女も殺してしまえ」
「!」

 極限状態にありながらも、幽鬼は朱華の腕をしっかり握ったまま、優雅に颯月へ命令をくだす。炎の剣は勝手に跳ね上がり、水の剣を握った里桜目がけて一閃する。

「嘘でしょう、颯月?」
「里桜さま、ボクを殺してください」

 自分は幽鬼との間に生まれたなりそこないだ。たとえ母親が神であろうが、幽鬼に穢されその結果雲桜を滅ぼすときまで彼らに育てられ、彼らと破壊行動を悦しんだのは揺るぎない事実。
 颯月はキッと唇を結んで、炎の剣を里桜に向ける。

「貴女に出逢えたから、ボクは暗闇から抜け出せたんです。貴女に殺されるなら、それで……」

 ふ、と里桜が視線を落とす。
 いまにも穴に吸い込まれそうな朱華が、僅かに口角を斜めにあげた。悪戯を企んでいる子どものような、あどけない表情に、里桜も微苦笑を浮かべ、やれやれと嘆息する。

「……そういうことを言うなら、尚更殺せないわ」

 里桜はあっさり剣を投げ捨て、声を張り上げる。
 その声につづくように、朱華が詠唱に重なる。
 表裏の緋寒桜が揃うだけで竜神を覚醒させられたのだ、神謡を唱えたら、奇跡だって起こせる気がする――単純な朱華の考えに呆れながらも、里桜は彼女が持つ生まれながらの才を信じて神を()ぶ。

 竜糸の土地神は水神、竜頭。彼よりも更に上位の神といえば、それはもう、母神しか存在しない。一か八か……こんなときなら、きっと彼女は降臨する。