少女が教会に保護された時、全身に殴られた青アザやタバコの痕があり、左の足にはひどい火傷の痕がありました。
 少女は教会附属の病院に入院させられ、およそ半年間、治療と心身のリハビリを受けた後、同じ教会の身寄りの無い孤児のための施設に保護されました。
 それから少女は暫く、その施設で過ごす事になったのです。
 それまで人を憎むことしか知らなかった少女でしたが、教会の神父さんやシスターの細やかな心配りで、荒みきった彼女の心と魂はほんの少し癒やされました。
 虐待の傷跡も施設に入っていた期間に、奇跡が起きたように治りました。
 ですが、酷く悲しい経験から、少女は親戚を憎み、人間にも社会にも、激しい怒りや憎しみを抱いていました。しかも暴行や性的な虐待が心の傷となって、自分の身も心も魂でさえも、穢れていると思い込んでしまったのです。
 少女は自分を否定し、自分を愛することも、自分の存在を認めることも出来ず、他人から愛される資格すらないと信じていました。少女は愛に飢えながら育ったので、心と魂は、いつも渇ききっていました。こうして少女は〝渇いた女〟になったのです。

生きがい

 女が十四歳の時でした。
 教会の礼拝に来ていたパン屋の奥さんに気に入られ、そこで住み込みで働くことになったのです。パン屋の夫婦には子供がいなかったので、渇いた女は娘のように可愛がられました。渇いた女は仕事の呑み込みが早く、機転も利き、記憶力もよかったので、すぐに仕事を覚えました。女はパンを仕込んだり焼いたりする仕事から、陳列や販売、会計の仕事まで任されました。教会やパン屋との出会いで人の愛に触れた渇いた女は、感謝してもしきれないと、人の親切のありがたみを肌で感じ、心から噛み締めたのでした。
 こうして始まった、渇いた女の穏やかで平和な日々は十年ほど続きました。傷ついた心と魂が癒えるには短すぎる時間でしたが、それでも渇いた女にとって夢のように幸せな毎日でした。

 渇いた女は思いました。
(身も心も穢れたこんな私でさえ、生きる価値があることを神父様やシスター、そして、お店の主人と奥様、沢山のお客様が教えて下さった。わたしはこれから一人でも多くの人に、この感謝の恩返しをしたい)