朝から男は目に涙を浮かべ、祖母や母と一緒に撮った写真をじっと眺めていました。
 窓から外に目をやると、道端に赤や白の花が咲いていました。
「桜の花だ」
 荒みきった男の心が、珍しく、花で満たされました。
 そのとき不思議な事が起きました。
 閉め切った部屋の中に、春の温かな風が男を包み込むように吹き抜けたのです。
「お母さん……」
 男が思わず窓越しに空を見上げると、抜けるような青空が広がっていました。
「お母さん、晴れ女だったな」
 母の愛にようやく気づいた男は、胸の奥がとても熱くなり、
「ありがとうございます」
 と言って、むせび泣きました。
 男は無償の〝愛〟を教えてくれた母に感謝しました。
 男は〝赦す〟ことを学ばせてくれた、逃げた父親に感謝しました。
 男は憎しみを〝手放す〟きっかけを与えてくれた別れた恋人に感謝しました。
 過去の不幸な出来事を赦し、自分をも赦した男は、自分を少し好きになると、自然に手を合わせ祈りました。
「神様、お父さん、お母さん、お婆ちゃん、ありがとう。こんなにも僕を愛してくれて幸せです。これからは自分を大切にしながら、出会った全ての人に感謝の心を忘れないように生きてまいります」
 心をこめた祈りは男の日課となり、生まれ変わった男は〝祈る男〟となったのです。

  渇いた女

 祈る男と同じ町に女が住んでいました。
 二十代半ばの、長い黒髪に丸顔のえくぼが可愛いい女でした。
 女は仕事が早く終わる日や、休みの日には、ボランティアをしていました。病院や教会の施設に介護の手伝いをしに行くことを、クリスチャンである自分の使命と考えていたからです。
 そんな天使のような女にも辛い過去がありました。
 女は幼い頃、父親と母親を貧しさと働き過ぎで亡くしたのです。
 親戚はいましたが、彼らは孤児になった少女を邪魔者扱いして、お互いに押しつけ合いました。
 こうして幼かった女は親戚の家をたらい回しにされ、しかも、性的な虐待や酷い暴力を受け続けていました。
 虐待はエスカレートし、堪りかねた少女は十二歳になると、親戚の家を逃げ出し、住んでいた町から遠く離れた、祈る男が住む町にやって来たのです。
 行く当ても無かった少女は、町の小さな教会に助けを求めました。