「その時、晴夏が俺に言ったんだ。涙声で、“なんでもいいから、お兄ちゃんを楽しませてあげて。僕のことばっかりなのは、もういやだ”って」
ドラマを見ているみたい。
夢を見ているみたい。
まるで現実味がない。
でも、本当なんだ。
天沢は、私とは全然違う世界で生きてきたんだ。
苦しくて、痛くて、冷たい世界を、独り…傷だらけで。
「俺、わかんなくてさ…千晴の好きなこととか、やりたいこととか…。
だから…部活に誘ったんだ。千晴は運動が得意だったし、人付き合いも上手くて。なんとなく、楽しめるんじゃないかって」
部活。
学生なら当たり前の響きに、何かを思い出した。
──天沢はなんで部活に入らないの?
彼はあの時、帰るのが遅くなるから、と答えた。
今にも消えてしまいそうなか細い声で。
それは嘘じゃないだろう。
彼は嘘は吐けないし、弟のことを心から思っている彼の言葉として当然のものだ。
でも、それだけじゃないとしたら──?
心が薄暗い灰色で色づけられていく。
曇り空のような、曖昧な不安の色。
「まあ、…最初は断られたんだけどさ。俺バド部で…奇数人数だったからダブルスでペアいなくて。
それを理由にお願いしたらさ、優しいから…千晴、毎日は行けないけどって入部してくれて。先生も…了承してくれたから」
先生…バド部の顧問は私のクラスの担任の津谷先生だった筈だ。
知らないことばかりだ。
天沢が一年の頃に部活に入っていたなんて。
自分のことで一杯一杯で、周りが全く見えていなかったせいか、聞き覚えがまったくない。
彼が私を助けてくれたあの日が初めての出会いだって、ずっと勘違いしていた。
でも、違うんだ。
この高校に入学した時…ううん、受験を受けたあの日、天沢は同じ場所にいたのだから。
ただ。
私が知っているのは、あの大雨の日からの天沢。
それだけに、過ぎないんだ。
