何かから逃げるように、足をひたすら動かす。

そんなことしたって、本当に逃げたいものからは離れられないのに。

…何も、変わりはしないのに。



──わかっているんだ、そんなことは。

それでも、現実という名の鬼から逃れようと必死になってしまう。



理由なんてない。

空気を吸うために、息を吐く。

言葉を紡ぐために、口を開く。

目の前に世界があるから、瞼を上げる。


怖いものから逃げるっていう感覚は、それらと同じものでしかないんだ。






いつの間にか、私は学校が見えないところまで来ていた。

全身ずぶ濡れで、海に溺れたみたいに体が重い。

さすがに冬の雨は冷たくて、体がどんどん冷えていくのがわかった。


冷たい、寒い、痛い、辛い。

それは本当に、体が感じているものなのだろうか。

心が出す信号ではないのだろうか。

そんな問いに対する答えさえ、もう忘れてしまった。






何も受け止められない私は、懲りずに手を伸ばす。



──彼女の嘘かもしれない。



一縷の望みをかけてポケットに手を突っ込んだ。

すぐにスマホに手が当たって、電源を入れる。

この瞬間が、一番好きだった。

夜空に生まれた道標。

七菜香と繋がるこの瞬間があれば、何もいらない。



友達も家族も幸せも慈愛も歓喜も太陽も。

彼女の愛おしさには、眩しさには、私を包み込む優しさには、敵いやしないのだから。




──そうだ、そうだったじゃないか。

理由なんて、根拠なんて、他人なんて。

いらない、信じない、必要ない。


七菜香は私を助けてくれた。

行動源はそれだけで十分だ。

私は七菜香を信じる。

あんな他人のことを信じちゃダメだ。

ごめんなさい、七菜香。

私、悪い夢を見ちゃった。

どうか許して…。





文字を打とうとして、はっと手を止める。

これじゃ、伝わらない。

電話をかけよう。

疑ったこと、七菜香に自分の声で謝らないと。

震える手で七菜香に電話をかける。

耳にスマホを当てるとコール音はすぐに途切れ、ふんわりとした声が身を包んだ。

『…もしもし、雨音?

どうしたの?電話なんて珍しいね』