そんな知らせが届くなんてことはない俺は、不思議なもんで咲陽に呼ばれた気がした。
だから午後の授業をすっぽかして駆けつけた。
嫌な予感なんてなかった。
呼ばれたから振り向いて、駆け寄ってるってだけの感覚。当たり前のようなそんな感覚。
病室を開けると綺麗に整えられたベッドしかなくてそこでようやく嫌な予感が貼りついた。
嫌な音と共に足をナースステーションまで運ぶ。道中、俺を呼ぶ声に顔を上げると顔馴染みのある看護師――ハナさんこと中村花恵さんがいた。
「咲陽ちゃんはこっちにいるよ」
落ち着いた声音でいい、背を向け歩き出す。
俺はその背中を追うことだけに集中した。病室を移動したことの意味やハナさんの表情、握った拳に込められた感情など詮索する余地なんて作りたくなかった。
それなのに、着いた場所は地下で薄暗く、冷気が心なしか肌を撫であげた。
こんなところに咲陽がいるって? こんな肌寒いのに。咲陽にしたらこの寒さはきついはずなのに。
「……ハナ さん」
呼びかけるとともに彼女は立ち止まった。
「ここだよ」
目の前には依然先の病室と変わりのない扉がある。違和感があるとすれば――。
“霊安室Ⅰ”
その文字だけだ。
まるで初めて見たような文字で頭の中は疑問符でいっぱいだ。
「れい あん しつ……?」
なんだそれ。
レイアンシツ?
……霊?
……は?
血液の流れが良くなっていくように思考回路が回ってきて吐き気を覚えた。
霊安室――一時的に亡くなった人を保管する場所、だ。
その文字3度目だぞ。
ハナさんを見ると静かにそれとなく哀しげに頷いた。
え………そんな……
そんな、ばかな………んなわけ――。
強張る手でそっとドアを開けた。
廊下より断然暗い部屋だ。壁一体は暗めの灰色。多少明るいと思えるのはこの蛍光灯のおかげだろう。
部屋の中心部には枕飾りがあって、それから――。
「さ、よ……?」
台の上に寝ている人は顔に白い布が掛けられている。信じたくないのに目の前の人は咲陽だと勘づいてしまう。嫌だ。信じたくない。これは咲陽じゃない。絶対に!
震える手で布を剥がすと全身の力が抜けた。
「――っ」
うそだ。ちがう。これは、咲陽じゃ――!
嫌だ。いやだっ。なんでっ。
「うそだ」
信じたくない。信じるのを俺は拒否する。だってもうすぐ退院するって言ったじゃんか!
これが別人だったら――そう願いながら彼女を見る。
生気のない姿でも判ってしまった。彼女だと。望月咲陽だと。
「ぁ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙っ゙ぁ゙あ゙」
なんでだよ。
「咲陽っさよっ、あけろよっ……死んでんなよ!死ぬなよっ、なあ!もうすぐ退院するって、言ったじゃんか……っ」
なんで神様は願いを無視するんだよ。
俺の大切な人奪っていくなよ。
「俺に伝えたいことあるんじゃないのかよ。なんで伝えてくんないんだよ。聞きてぇよ……聞かせてよ、聞きたいよ……なんで――っ」
触れられる部分触っても冷たくて、鼓動も聴こえなくて、寝てるのに寝息が聞き取れなくて……咲陽はここにいるのに生きていないことを実感してしまった。
蘇ってくる3人の面影。
3人も同じだった。この光景が。
「さよ、……お願いだから目ぇあけろよ……」
俺の好きな人なんだよ。大切で。そばにいたくて。彼女との未来を想像して。幸せだなって。
そう思える人と出会えたのに。なんで俺の人生は、思いは、こんなに脆くぶち壊すシナリオが混じってんだ?
俺何かした?
笑ったから?
死ぬ場所探すのやめたから?
そんなんで入れ込むなよ。これを入れたのがもし神様っていうんだったら俺は一生恨むぞ。
*
「好きだよ」
そう言えばいつも顔を赤くするのに。
本当はさ、咲陽の柔らかな白い肌に手を添えてさ、火照った熱を感じたかった。
「冷たいし」
照れると口を尖らせるからそれを奪いたいって思ってたんだよ。
きっとやわらかくて、きっと甘い味がしていたんじゃないかって。
それなのに――。
「…………っなんもしねぇ」
やわらかいのに、冷たくて、何も味なんてしなかった。俺にしか残らないこの感覚が悲しみを誘った。
その後のことはあまり覚えていない。
外に出ると咲陽の両親がいて、なにか言葉を交わしたけれど内容すら記憶に残っていない。唯一憶えてるとすれば『ありがとう』だ。
咲陽の葬儀は身内のみで行われたそうだ。なのであの瞬間が咲陽と最期の時間だった。
学年に訃報が知らされたのは亡くなってから一週間後のこと。
一番気になったのは椎名先輩で。親友を亡くした人の気持ちは痛いほど分かるから。月影によれば既読すらついていない状態らしい。
そりゃそうだよな。俺も和希が亡くなった時閉じこもってたし。
きっと椎名先輩にとって咲陽は心の支えだと思うんだ。咲陽といる彼女は普段の彼女とは違う気がする。月影はかっこよくて責任感が強くてしっかり者と言っていたけれど、俺が知る椎名先輩は甘えん坊で気ままで大雑把。そう。それはすべて咲陽の前にいる彼女の本性。
咲陽が入院してることを聞いた日は彼女を思い泣きじゃくっていた。咲陽のことが大好きなのだと感じた。それと同じくらい恐怖だったんだと思う。
大好きな人がいつか死んでしまう未来があることを。
そして来てしまった。
彼女に声を掛けようとは思わない。この気持ちは時間だけが解決してくれる術がないことを知っているから。
ただ。
せめて、笑顔だけは消さないでほしい。
きっとこの哀しみを越えられる未来があるから。
一番は咲陽のためだ。咲陽もそう思ってる。
だから、咲陽のために笑顔を忘れないでほしい。椎名先輩――――。


