いざ病院前までやってくると何故か怖気付いていることに気付いた。
学校ではうまくいきそうな気分でいたのに。月影にも明らかにいつもと様子が違うことを指摘された。
そんなに分かりやすい態度は取っていないつもりでいたのにな。さすが友達。
エントランスを通過して受付で関係者用名札をもらい、彼女の元を目指した。
病棟に入りナースステーションで確認と消毒を済まして更に足を加速させる。
「304、304……」
久しぶりでもないのにもう癖のように番号を口ずさんでしまう。
が、今回は緊張ほぐし感覚で言ってる感じもある。
ドクドクと耳に響く自分の心の臓。
最高潮に達するより早く着いた304号室に足を止める。
昨晩決心したことを思い出しながら息を整え一歩踏み出してドアに手を掛ける。
すると微かにその向こうで声が聴こえた。
望月とたぶんお母さんだろう。彼女の母親とは一度だけ会って話したことがある。望月とはあまり似ていない印象が強かった。きっと父親似なんだろう。彼女の母親はとても活気溢れた優しいひと。笑うと仏のように全てを受け止めてくれそうな花みたいで。甘い栄養分を無償で提供してくれそうな。そんな人。
あ、声は似てると思う。透明感が。望月の方がより透明感はあるけれど。
そんなことをぼんやり思いながら入るタイミングを伺って澄ませていると。
大きな衝撃音が届いた。
開けるのを躊躇ったのは悲痛な望月の叫び声を聞いたから。
「咲陽!?なにして――!! やめて!やめなさい!」
「――っはなして!!やめてっはなして!!」
「離さない!」
「離してよ!!なんで聞いてくれないの!?なんで私なのっ、なんでよぉ」
突然のことに驚くとともに中の状況が大変なことは分かった。それにさっき看護師さんが俺に何か言っていたことも思い出した。『いまお母さん来てるからまた今度にしたほうが……』って。早く会いたすぎて無視してしまった。
どうすることもできずただ棒立ちして中の会話を聞くしかできないでいると、信じたくもない言葉を聞いた。
は。
なに言ってるんだよ。
「もう死ぬんだから私の言うこと聞いてくれてもいいじゃん!!」
え……。
は………?
まじ、なに言って――。
「みんな嘘隠すの下手だよ。治る治るって全然じゃん。見てよ、もうわたし……ぅ」
彼女の母が息を呑んだような空白が生まれた気がした。
望月は一体なにを母親に見せたのだろう。なにを見てそんなに言葉を失ったのだろう。気になりすぎてほんの少し扉をスライドさせた。音を立てず開いてるか開いてないかの隙間のおかげで2人は俺の存在にも気付いてない。そこには安堵しつつ、絶句した。
ドア前まで散乱したノートと文房具。水彩画セット、スケッチブック――その中にはオレンジ色のものもあった。いくつかの彩ってある紙のかけらは自身が破ったものだろう。心もなにより手のひらが痛かった。見てみると爪の跡がくっきり刻まれている。爪なんて切ったばかりのはずなのに皮膚が捲れている部分もあった。
そのくらい悲惨な光景に胸が痛んだ。
あれほど懸命に、命を吹き込んで彩り描いていく彼女の画をこんなにも呆気なく散ってしまっているこの光景が居た堪れない。その上中から聞こえてくる悲痛な嘆きと涙。
「もう生きている意味分かんないよ。もう手使えなくなるの?ねえ、お母さん。わたしまだ描き足りないよ。まだ途中なのもまだあるよ。コンクールもう直ぐなんだよ。――、どうしようっもう描けない!どうしよ、なにもできないねえお母さんどうしよっ」
描けないと過呼吸気味に嘆く彼女に母親は言った。
「描ける。描けるよ咲陽。あなたは生きてるよ。だから描ける。大丈夫よ」
声を震わせて。それから。
「だから簡単に捨てないで。死ぬなんて言わないで」
そう言って彼女を抱きしめてる感じがした。
辛く絞るような嗚咽が聞こえる。お母さんと何度も何度も。そして俺の耳にも残るほどの願望を強く言い放つ。
「まだ、生きていたい、死にたくなんか、ないよっ」


