泣いてる君に恋した世界で、




「咲陽さんは俺にとって命の恩人みたいなもので、とても大切な人で、心から愛してました」

ぽとりと溢れたのは言葉だけじゃなかった。

知らぬ間に奥さんが隣に来て背中を優しく撫でてくれてた。

こう言ったとて、涙が溢れたとて、咲陽が帰ってくるわけじゃない。そんでも思ってしまう。

俺を置いていくなよ。せめて、退院したら伝えると言った言葉をくれよ。

この “退院” は完治したことを意味する訳ではないと亡くなって暫く経った頃に知った。

咲陽の言っていたものは死を意味していたんだ。

彼女が言った<退院>は、死亡退院といって、病院で亡くなった患者さんのこという。俺の勤めてるところではそういう。

逆に元気になって退院するのは、普通退院という。

医療語だから今の俺なら分かる。

知らなかった当時は喜んでいたけど、咲陽はどんな風に思ってその言葉を送ったのだろうと考えると苦しくてしようがない。


「――すみません、お見苦し姿(ところ)を」

2人はそんな俺を見て「大丈夫」と微笑んでくれた。
奥さんは少し目が潤んでいた。


「咲陽ったらこんなに槙田くん描いて……本当に好きだったのね」

ハンカチで目元を拭いながらぽつりそう呟いたのを聞き逃さなかった。

拍子抜けた声を出すと2人して不思議そうにこちらを見る。

「どうしたの?」と奥さんが。表情で旦那さんが向けてくるから言った。


「過ぎたことなんですけど。高2の文化祭の時に告白して振られたんです。好きとは言われましたけど、どっちかというと友人としての好きで。咲陽さんの好きはライクの方だと……」

あの日を思い出しても確かに好きとは言われた。でも俺と咲陽の好きは別モンだった。俺はラブの方なのに。

それから彼女の口からは『ありがとう』と『ごめんね』しか言わなかったし、それに――。


「それ以来拒絶されたかのように会うことも出来なくなって。でもそれは頑張ってるからだと思い込むようにしてたんですけど、連絡も無くなったから嫌われたかとも思ったりして」

くだぐだとご両親を目の前にして何を言っているのかと少しばかり現実に引き戻された俺の脳内で恥じた。

なんかすみません、と言えば「槙田くん」と今にも泣きそうな表情でスっと手渡されたB5ノートとA4ノートに目を向ける。


「これはね咲陽の日記なの」

「え」

「読んであげてほしい。ううん、読んでほしい。咲陽には止められてるんだけど、あの子の本心じゃないと思ってしまったの。だから読んで欲しいの」

「でも、そんな」

「読んであげて。きっとあなたの蟠りも少しは取れると思うから」

ね?と懇願する奥さんに続けて旦那さんまで言うから渋々頷いた。

花柄の表紙を捲る。白紙の中央に【日記】と丁寧に書いてある。再び捲ると行のみの白紙で、次の見開きからこの日記はスタートしていた。

ちょうど17年前の秋頃だ。まだ咲陽は1学年。もちろん留年前の。この頃から入院していたみたいで、早期発見だったみたい。病名は子宮頸がん。

だけどこの病気で咲陽はこの世を去ってしまった悪病だ。

ポツポツと呟くように書かれてある日記というより箇条書きのようなメモのような。文面からして退屈そうにみえた。

数ページほど捲っていくと突如大量の文字数が現れた。あまりにも突然で飛ばしたかと思って前に戻るけど少量の文字列ばかりが残っているだけだった。



日付は同年11月。忘れもしない。親父が亡くなった月だから。
しかもその年の先月に大切な親友が亡くなっている。そんな当時の俺の心はズタボロだった。

この年に夕陽が嫌いになったと思う。

けれど咲陽は “眩しくてきれいな夕陽を見たよ” と書きはじめていた。

続けて “だけどね、私がいることを知らないのか泣いている男子を見たよ” とあって驚いた。

この男子とは俺なのだろうか。

そうだとしたら、咲陽はこの日初めて俺を知ったんだ。俺は知らなかった。ここに書いてある通り人がいるなんて思ってもなかったから。とにかく一人になれる場所を求めて辿り着いたのがそこであっただけで、誰がいるとか確認する気もなかった心情だった。

そんな様子を咲陽にはずっと見られていたんだ。今更で恥ずかしいんだけど。

読み進めていく中「まじか」と呟いてしまった文面は、 “泣きじゃくってるのになんで彼はこんなに綺麗なのだろう” と書かれてあったからだ。

それ以外にも色々突っ込みたい箇所がある。


“横顔がきれい”
“今まで見た男の子の中でダントツにきれい”
“涙までもきれいに見える不思議”
“君と夕陽っていいね”

咲陽って本当おもしろい。
仮に当時の俺をこんな風に感じていたなんて、彼女こそ不思議だよ。

締めは “泣き顔きれいな男子くんが明日から笑顔でいられますように。きっと笑顔もきれいなはず!” そう書いてあった。

嬉しかった。

ただこの “男子” が俺とは断言しにくい。月日が一緒なだけで見ている人物は別者だということもあり得る。それでも咲陽がこの時から俺のことを知っていたと思ったら嬉しすぎた。そんで俺を思って今日を締めたことも。

次をめくると退屈な様子とその男子について書かれてあった。