(あの子は一体、何故あんなに暗い目をしてるの?)
父の仕事の都合で埼玉の中学に転校して来た時から気になっていた。
佐々木綾(ささきあや)の瞳に……

輝きのない眼光。
おどおどしているような落ち着きのない態度。
それらは離島から引っ越して来た私の目には異様に映っていた。

クラス全員で無視するとかの虐めだと思っていた。
でもそれは違っていた。
そんな気配が全くなかったのだ。

だから余計に気になった。
私は何時の間にか、彼女から目が離せなくなっていた。





 でもその原因は高校の入学説明会で判明した。
彼女の母親と一緒だったのだ。


(よっぽど辛いことがあったのだろう?)
そう思っていた。





 彼女はスマホもガラケーも持っていない。
普通の女生徒だったら親が心配してGPS付きのを持たせてやるだろう。


『高校生に携帯電話なんかは要らない』
担任が仲間外れなどを警戒して進言した時、父親はそう言ったそうだ。

愛していないんだ。
素直にそう感じた。

聞けば彼女は一人娘だと言う。
幾らお金がないと言っても、何十万も払う訳でもあるまいに……
虐められたらどうする気なんだろう?


(きっと訴えても聞く耳も持っていないのだろう)
そんなことを考えているうちに、急に彼女が哀れになった。

きっと、母親も何も言えないのだろう。
旦那に気を遣ってひっそりと生きてきたのだろう。

そうでなきゃ、母娘のあの眼は説明出来ない。
本気でそう思っていた。





 私の名前は清水波瑠(しみずはる)。
離島で教鞭を取っていた父が埼玉の学校に転勤になり、引っ越して来たのだ。

でも本当の目的は違う。
資産家の一人娘と結婚したために呼び戻されたのだった。

教育学部で同期だった二人は恋に堕ちた。
母は両親の反対を押し切って、父と離島へ旅立っていたのだ。

でも反対したのは母の両親だけではなかった。
父の親戚も大反対だったのだ。





 父は母の両親を説得するために島に行ってから婿養子になった。
だから余計に結婚を妨害しようとしていた親戚達を激怒させてしまったのだった。

父は祖父の遺言を守るために、離島へ渡たらなければならなかったのだった。
それに紛れて、挙式してしまったのだった。

島で暮らすこと。
それは離島出身の祖父の願望だった。
祖父や其処の人々は先祖代々の密命を負っていたのだ。
それが何だか解らない。
でも、あの島の抱えた事情だと言うことは理解している。

私が今まで暮らして来たのは平家の落人伝説の島だったのだ。





 父から聞いた落人伝説の中で私が好きなのは、那須与一の弟大八郎と鶴富姫の伝承だ。

山の中に分け入って暮らし始めた残党の討伐命令を受けてたどり着いた大八郎は、穏やかに暮らす人々に感銘した。

そして全員を討ち果した報告した。
その後、その地に移り住んだ大八郎は地域発展に寄与した。

源氏と平家の垣根を越えて、鶴富姫と出会い結婚した大八郎に幕府からの帰還命令が出る。

大八郎の子供を身籠っていた鶴富姫は女児を産んでその地で暮らしたと言う。

父は、源氏も平家もない。
愛していれば、苦難さえも乗り越えられる。
そう言いたかったのだ。





 島を離れることが決まった時に戸惑った。
恋人がいたからだ。
島の岬近くに住んでいる同級生の彼が。


『僕のことなんかきっとすぐに忘れるんだろうな』
連絡船に乗り込む時に言われた。
私はすぐに首を振った。

幼い時からずっと一緒だった彼。
何時の間にか心が奪われていた。
忘れられるはずがない。
だって彼は私の婚約者だから……

まだ誰にも言ってない二人だけの秘密。
だけどね。
あの那須大八郎と鶴富姫のように、本当に大切な人と巡り会えた。
そう思ったんだ。

私達は文通で心を通わせた。
今時流行らないかも知れない。だけど、私達は真剣に遠距離恋愛中だった。

それなのに、この頃返事が届かない。
離島だから時間がかかるのは解っていた。

でももう一年以上、待ちぼうけなのだ。





 だから今、夏休みを利用して一人で帰郷中。
彼氏との久し振りに再会が待っている。


宿泊するのは友達の家。

だって彼に会いたいからなんて言ったら、教育者の父が許してくれるはずがないからだ。


私はまだ高校ー年生。
彼は地元で漁師をしながら通信教育で高校を卒業したのと同じ資格を摂取しようとしているはずだった。


島には高校がない。
だから文部科学省公認のこの制度が頼みの綱だったのだ。


この資格があれば、大学の受験が認められるのだ。


姉も私も本当は、島にいてその資格を得れば良いと思っていた。

でも母の……
祖父母の寂しさを考えると、我が儘は言えなかったのだ。




 だんだんと故郷が近付く。
香りで解る。
あの海の……
波打ち際で彼と過ごした時間を思い出す。


(突然行ったらびっくりするかな?)

手紙を出しても返事が来ない。
だから私は彼が心配だったのだ。




 船着き場に向かう時に感じた潮の匂い。


ただそれだけで心は懐かしい場所へ帰って行く。


港から程近い教会に寄ってから、早速漁業組合へ連絡を入れて彼の消息を尋ねた。
でも誰も知らないと言う返事だった。


私は何時しか、彼と見た夕焼けの渚を目指していた。


でも彼は何処にも居なかった。




 彼を私の引っ越先に招待して一緒に長瀞で遊んだ。


でも、その後帰って来てないらしい。

何があったのか判らない。
だからそれを探り出したいと思っていた。




 彼は島の教会の前に捨てられていた。
どうやら、観光客が置き去りにしたようだ。


生年月日と名前入り迷子札を胸から掛けていた彼。


でも住所は記載されてはいなかった。


だから、迷子と捨て子。二つの意見があったそうだ。




 神父さんの知人に預けられた彼は町の宝になった。


優しくて穏やかな性格が島の人達を魅了したのだ。


私も、その中の一人だったのだ。




 今彼は何処で何をしているのだろう?

私は優し過ぎる彼が心配でならなかった。


だから、島にいる内に彼の情報を集めようと思ったのだ。


私は早速行動を開始した。




 彼は何故行く方不明になったのだろう?

今、何処で何……?


考えれば考えるほどに辛くなる。


彼は私に約束してくれた。
島でずっと待っていてくれると。


私に黙って彼が何処かに行くはずがない。
そう思っていたからだ。




 私は島の人達に彼の手懸かりを聞いて回った。


彼を育ててくれ人ならば何かが解ると思った。

そして、彼が島に戻る途中で奇跡的な出会いをしたことを知った。


彼は彼を捨てた母親と再会していたのだ。


でもそれ以来、行くがた不明になってしまったそうだ。


でもきっと何処かで幸せにやっているんだろう。

そう思っているそうだ。


慈愛溢れる彼に、母親も心を癒されている。

私もそう思うことにした。


(それにしても歳を取ったな。彼が支えだったからな)

オバさんを見てそう思った。





 私の目の前には本土へと続く海がある。
きっとこの向こうに彼がいる。


私は帰ろうと思った。
本当は此処に残り彼を待ちたかった。


でも、私は彼と離ればなれになる前に二人だけで教会の祭壇の前に跪いたことを思い出した。


(どんなに辛くても、悲しくても前に向かって歩いていくよ。貴方との約束だから……)

それは彼と一緒に考えた誓いの言葉。


何時も心の中でで唱えようと約束した……


私は蒼い海に向かって、あの日と同じように今は離ればなれの恋人に誓った。