(ふぅ、これで大丈夫かなぁ・・・)

「すみません。この校正記号はこれで合ってますか?」

デスクで黙々と原稿の文字チェックをしていた美貴恵が、先輩社員に尋ねる。

「うん、大丈夫」

「ありがとうございます」

「吉里さん、だいぶ仕事に慣れてきたみたいでよかった」


美貴恵は、事故のあと、数か月して離婚


さおりに頼み込んで、未経験でも雇ってくれる編集プロダクションを紹介してもらい就職していた。

「就職するなら芳樹の事務所でもいいじゃない。私もいるんだし」

「ううん、ダメなの。まだあの事務所には行けないよ」

「未経験だとかなりキツイよ、この業界」

「わかってる。でも、芳樹のいた世界のことを1から知りたくなったの。
ね?だからお願い。私の入れそうな会社、紹介して」

「ま、美貴恵のお願いじゃ断れないね」

「でしょ」

ほんの少しだけ時間が経って、美貴恵も前に進む気持ちが芽生えてきていた。

(私まだまだ知らないことだらけだけど、芳樹が大好きだった世界に来たよ。がんばってがんばって、その時が来たら、芳樹が作った事務所に入れてもらうね)

デスクの前にそっと並べられている一冊の本。
誰も気が付かないけれど、私のためだけに書かれた恋愛小説。

私だけが知っている物語。

芳樹に私が伝えたかったこと。

最後のページに書かれた手書きのメッセージに美貴恵は一言だけ書き加えた。


(ずっと離れないからね。愛しています   美貴恵)