愛がなくても、生きていける




「お客様大丈夫ですか!?」

「大丈夫です。すみません、テーブルと床汚しちゃって……拭くもの借りていいですか?」



茶色い髪から滴るビールが、座敷の畳を濡らす。それを見て、離れた席にいた同期たちが慌てて座敷へ飛び込んできた。



「うわ中村!大丈夫か!?」

「うん。でも濡れたままでいるのも迷惑だし、俺先に帰るよ」



髪もシャツもビールで濡れてしまっている、こんな状態でいるのは店にもみんなにも迷惑だろう。

そう考えて俺は上司にひと声かけて、足早に店をあとにする。



とはいえこの格好ではタクシーも乗れないし……乾くまで待つか、どこかホテルでも泊まるか、少し遠いけど散歩がてら歩いて帰るか。

そう考えながら店の外に出ると、背後から続くように出てくる足音が聞こえた。



「中村さん」



その声に振り向くと、そこにいた里見さんはバッグと上着を手に、靴も履きかけで俺の後ろにいた。

その様子から急いで追いかけてきてくれたのだと察する。



「里見さん。どうしたの?」



冷静な里見さんからは想像したこともなかった、ちょっと意外な姿に驚いてしまう。

すると彼女はいつもの冷めた顔の眉を少しだけ下げて、バッグからハンカチを取り出し俺の顔をそっと拭った。

タオル地の柔らかなハンカチからは、ふわりと甘い花のような香りがする。



「……いい香り。里見さんの香り?」

「変態。嗅がないでください」



いつも通りの淡々とした口調で突っ込んでから、里見さんは少し黙る。

そして長いまつ毛を伏せて、小さくつぶやいた。



「……すみませんでした、私のせいで」



その言葉から、それを言うために彼女が急いで追いかけてきてくれたのだと気づいた。

凛とした目が、長い睫毛の下で申し訳なさそうに細められる。



先程まではっきりと物を申していた強い声が、真逆なくらいか細くなる。

そんな、初めて見る彼女の姿に俺は思わず「ぷっ」と吹き出してしまった。