リタは椅子に座るのを躊躇っていたが、『落ち着いて話がしたい』という私たちの気持ちを分かってくれたのか、遠慮がちに私とニコラース殿下の間の椅子に腰を下ろした。ニコラース殿下に静かにじーっと顔を見つめられたリタは恥ずかしそうに顔を俯かせる。


「本当に……マリ、アンネ…なの?」


リタは顔を上げ口を開こうとして俯いた。そしてまた顔を上げ眉を下げながら微笑んだ。


「し、信じられないですよね。 私も自分の事ですのに、信じられませんもの……けれど、神に誓って嘘は申しておりません」


不安そうな顔をしていたけど、そう言い切ったリタの瞳は惑う事なく真っ直ぐと、ニコラース殿下に向けられた。


「いったい、どうして……」


ニコラース殿下の言葉は私の中で木霊する。


「リタ…あ、マリアンネと呼んだ方がいいのかな?」

「いいえ、お嬢様、リタとお呼び下さい」

「そう、では…リタ。 もし覚えていたらなんだけど、どういう事なのか説明してくれない?」


リタは聖女の力に目覚めた時のこと、そしてニコラース殿下と婚約を結んだ時のこと、私にも分かりやすいように話をしてくれた。


「婚約を結んだ後、孤児院へ訪問に行ったのですが、その時孤児院の子に声をかけられたのです……『小さな子が怪我をしたから助けて欲しい』と。 慌ててその子の後をついていったのですがとても足の速い子で、気付けば見失ってしまい、知らない場所まで来てしまっていて……」

「護衛はどうしたんだ?」

「小さな子と聞いて敷地内だと思い、『大丈夫』と伝えて護衛をつれずに一人で行ってしまいましたの…とても軽率なことをしてしまいました」


リタはとても心が優しい人だから、怪我人がいると聞いて慌ててしまったのだろう。


「人気のないところに来てしまって引き返そうと思った時声がして…声がする方に行くと女の子が座り込んでいて『大丈夫?』と近づいて声をかけたのです。 そしたら突然腕を掴まれてその子と目が合った瞬間目の前が真っ暗になってしまいました。 目を覚ました時には孤児院にいました。 頭の中に靄がかかっていて、自分のことさえもよく分からなくて、けれど言葉や文字、礼儀作法などは問題なく…ですが、お洗濯やお料理なんかは本当に何もできなくてッ__」


手を伸ばしてリタの手に触れた。その手は震えていて、ブランケットには涙のシミができている。


「ある日、司祭様から私のことを養女にしたい方がいるから準備をしなさいと言われて迎えの馬車を待っていると、それは馬車というにはお粗末で荷馬車のようでした。 不安を感じた私は逃げました。 逃げて、逃げて……っ、そしてもうダメだと思った時に、レイラお嬢様が助けてくださったのです」


リタは私の手を包み込むように握ると、涙が溜まった瞳で微笑んだ。頬を伝う涙を拭うことなく、ニコラース殿下に顔を向けた。


「ニコラース殿下のお顔を見た瞬間、たくさんの映像が頭の中に流れ込んできたのです。 頭が割れそうなほどの痛みに襲われ、次に目を覚ました時には全て思い出しておりました。 この現実をどう受け止めたらいいのか分からず、レイラお嬢様には大変失礼な態度をとってしまいました……本当に申し訳ございませんでした」


深々と頭を下げられ慌てた。


「何言ってるの!! 私がリタの立場でもきっと気が動転しちゃってそうなっちゃうよ!! だから気にしないで」

「リタ…、の話を聞く限りおそらく魔道具か魔術を使ったんだと思う」

「魔道具? 魔術?」


聞きなれない言葉に首を傾げた。


「生活に必要な魔道具ならわかるよね? お湯を沸かしたり、火をつけたり生活で必要な事にも魔道具を使ってるだろ?」

「そう、なんですね……」


どういう仕組みで動いてるんだろうとは思っていたけど、魔道具を使っているとは思っていなかった。一般常識なのか、ニコラース殿下は少し苦笑いを浮かべた。


「それとは別に禁忌とされている魔道具がある。 人に呪いをかけるもの、命を奪うものなどね。 一時期禁忌となる魔道具が出回ってしまって取り締まりが厳しくなっていたんだが、その網をくぐり抜けたものがあったのかもしれない」

「あ、あの! リタが元の身体に戻ることはできるんでしょうか!?」

「魔道具が使われていれば、その魔道具を破壊すればいい。 けど、もしも魔術を使っている場合解呪しなければない。 解呪できる人間は本当に少なくて、見つけられるかわからない……」

「そんな! もしこのままだったとしてもニコラース殿下と一緒になれるんですよね!?」


手をギュッと握られ顔を向けると、リタは静かに首をふった。


「私は聖女でもなければ貴族でもありません。 もし貴族のお家の養子になったとしても、聖女に勝る力はありません。 そんな女性と婚約を結び直すなど、王妃様はお許しにならないでしょう」

「でも! 記憶が戻ったっていうの_に………」

「レイラお嬢様?」

「魂……」

「レイラ嬢? どうしたんだい?」

「魂よ!! 精霊王が言っていたの!! 記憶は脳に宿るのではなく、魂に宿るって! だから私たちは前世に会った事がある人と出会えば懐かしい感じがするのだと! 魂に記憶が宿るからリタは思い出した!! だったら力も魂に宿るんじゃないかしら!?」


そんな都合のいい話じゃないかもしれない。だけど少しでも希望があるなら捨てたくない。


「そう、かもしれない、な……」

「ニコラース殿下?」


私たちはニコラース殿下に視線を送った。


「今のマリアンネは治癒、そして浄化の力が弱まっているんだ。 レイラ嬢の仮説が正しければ、今のマリアンネは近いうちに聖女の力が使えなくなるだろう」

「もし本当に魂に力も宿るのであれば、どうして彼女は聖女の力が使えたのでしょうか……」


リタの疑問に確かに…と首を捻った。


「身体に力が宿っていたからだろう」

「ッッ!? アルファ!?」


振り返ると腕組みをしたアルファが浮かんでいた。ニコラース殿下とリタは驚きのあまり固まってしまった。


「あ! すみません、アルファは__」

「精霊王様ですね。 私はアガルタ王国第二王子のニコラースと申します」

「私はレイラお嬢様の侍女をしております、リタと申します」


アルファは私の隣に座るとカップに手を伸ばし紅茶を飲んだ。
それ私の飲みかけ……まぁ、アルファだからいいけど……。


「身体にってどういう意味なの? 魂に宿るんじゃないの?」

「記憶や精霊の力は魂に左右される。 が、気持ちや身体も大きく関わってくる。 身体を纏う気や血肉や骨…全てに力は宿る。 だがそれらは魂と違ってただの器にすぎない。 力の源がなくなれば薄れていくのは当然のこと」


スマホの充電がなくなるみたいなこと?いい例えが浮かばない。


「ひとりが聖女の力が使えなくなっているのであれば、記憶を取り戻したそなたは聖女の力が使えるのではないか?」

「え……?」

「そなたの身体から神の力を感じる」


リタは両手を広げじっと見つめた。その手は震えている。


「ニコラース殿下!?」


テーブルの上に置いていたフォークで自分の腕を思い切り刺した。ニコラース殿下の腕からは当然の如く血が流れ出た。


「治療してくれないかい?」


驚くリタへ腕を差し出すニコラース殿下。リタは震える手を広げ、手のひらを傷へかざした。すると柔らかな光が溢れ、一瞬のうちに傷口が塞がってしまった。


「このようなご自身を傷つけるような真似はおやめ下さい!!!!」


怒るリタとは対照的にニコラース殿下は嬉しそうに笑っている。


「治癒魔法を使った時のこの温かく優しい光はマリアンネのものだ」