20.5【閑話】アレクサンダー視点


母の元を訪ねると、窓の外を眺めながらお茶をしているところだった。


「ご一緒しても?」

「えぇ、勿論よ」


痩せ細った身体が元に戻るにはまだまだ時間がかかりそうだが、コケていた頬の影は薄くなり、血色も良くなっている。

元々活発で体を動かすことが大好きな母は、後宮に入り自由を失った。好きで側室になったわけじゃない。踊り子だった母を気に入った国王は力尽くで母を手に入れ、そして俺が産まれた。平民のたかが踊り子が王の子を授かり、王子を産んだ。それも“第一王子”を。後ろ盾のない母を守るには俺が強くなるしかないと思った。何度死にそうになったか分からない。それなのにあの日戦場から戻った俺を待ち構えていたのは、毒に侵された母だった。母に毒を盛ったメイドは捕らえられ、牢で隠し持っていた毒を服用して自殺した。いや、自殺した様に偽装された……そう思っている。だが証拠は何一つない。腹立たしい事だ。


「レイラに会って礼を伝えた」

「ありがとう。 アルポに聞いたわ」

「母上だから言うが、彼女はメサイアだった」

「やっぱりそうだったのね。 アルポに聞いても誤魔化す様にどっかにいっちゃうから、言えない存在なんだと思ってたわ。 お礼をしたいのだけど、何がいいかしら? あの日お礼はいらないと慌てて行ってしまったから……」

「俺も礼をしたいと言ったけど、彼女が求めたのは自分がメサイアだと黙っていてほしいと言うことだけだった」


教会の孤児院から養子に迎えた少女だと報告には書いていた。教会の教えのもとなのか性格なのかは分からないが、なんて欲のない人間なんだろうと思った。侯爵家という由緒正しき家に引き取られ、それもメサイアという特別な存在だと言うのに、傲慢さは微塵も感じなかった。それほど環境が変われば気も大きくなりそうな物だが……。


「もう一度会ってお礼が言いたいんだけど……」

「それは……難しいだろうな」


俺と彼女は表向き何の接点もない。あの後婚約の申し込みをしたわけではないから、あの時踊ったのもただの気紛れだと思われている。そんな彼女を母に合わせるには、名目がない。


「レイラ呼ぶー?」


母の精霊であるアルポがそう言うと、俺の精霊のフレイムが姿を現した。


「次こそ精霊王に怒られるぞ」


その言葉にシュンとしたアルポは母の膝の上に座った。母は小さな子をあやす様にアルポの頭を撫でた。その姿を見ていると、自分の小さな頃を思い出す。


「レイラは精霊王と関わりが?」

「精霊王が大切にしているらしい」

「特別なメサイアなのね……」

「母上?」


表情を曇らせた母に声をかけた。俺の顔を見ると申し訳なさそうに微笑んだ。


「アレクにばかり大変な思いをさせて申し訳ないんだけど、もしもレイラに危険が迫ったら助けてあげてほしいの。 本当は私が恩を返さなければいけないんだけど……ここから自由に出られない私では限りがあるから……」

「俺にお願いする必要はない。 レイラは母上の命を救ってくれた。 俺にとっても恩人だ」


母はカップを掴む俺の手に自分の手を重ね優しい笑みを浮かべた。


「ありがとう」


母との穏やかなひと時は久しぶりだった。

王宮の中も戦地も心休まる場所はない。母と過ごす時間が唯一と言ってもいいかもしれない。俺も母も敵が多すぎる。

母とのお茶の時間を終え、執務室に戻っていると目の前から見たくもない奴が歩いて来た。王宮内を我が物顔で歩く様は滑稽だ。


「ご機嫌様、アレクサンダー殿下」

「……あぁ」


煌びやかなアクセサリー、そしてむせる様な香水の香りに身を包んだ深紅の聖女。何も聞かされず会えば、聖女だとは微塵も思わないだろう。


「ペネロープ様の容体が快方に向かっていると聞きましたわ。 皆様の想いが神へと届いたのでしょうね。 心よりお慶び申し上げます」


これ以上言葉を交わす意味も必要もない。

深紅の聖女の横を何も言わずに通り過ぎた。

第二王子の婚約者となり、王妃の顔色を伺うばかりにあの女は聖女という立場ではなく第二王子の婚約者という立場を選んだ。聖女でも本当にあの毒はどうしようもなかったのかもしれない。だがちゃんと診る事も、解決方法も探す事なく母を見限った。もう一人の康寧の聖女は浄化の関係で暫く領地を離れられないと知りながら、あの女は早々に匙を投げた。今思い返してもはらわたが煮えくり返る。


「お! 待ってたぜ! 次の視察の日程……ってなんだよその顔。 ペネロープ様と会ってたんじゃないのかよ?」

「さては彼女と遭遇したんだろ?」


側近のルシオとロレンソは察したのか、なるほどなと言いたそうな顔を見せた。


「それで? 彼女はなんと?」

「心よりお慶び申し上げます、だと」

「はぁ!? あのクソ女! よくそんな事言えたな!! イテッ__!」


ロレンソがルシオの頭を持っている本の角で殴った。


「口が悪い」

「あ!? 今は俺らしかいねーんだからいいだろーが!!」


他の人間が居れば多少マシだが、それでもルシオの口は悪い。


「んで? ペネロープ様にはちゃんと言ったのかよ?」

「何を?」

「何ってお前! レイラ・ヴァレリーに婚約申し込むってよ!」


呆れた。

足を組んで椅子の背凭れに寄りかかった。


「そんなつもりはないと言っただろ」

「彼女と踊ったのは? ただの興味ではないでしょう?」

「礼を言いたかっただけだ」

「は? 礼ってなんの?」

「落ち着いてから話そうと思ってたんだが、実は彼女に母を助けてもらった。 彼女は怪我の治癒と解毒ができる」

「解毒が? そんな事が出来る治癒士がいたなんて……」

「どうやって知ったんだよ!?」

「アルポが仕入れて来た情報だ」


この二人には彼女がメサイアだと話しても大丈夫だろうが、そんな事を話せば余計に婚約を申し込めと言われかねない。話すのであればもう少し時期を見極める必要がある。


「俺たちには一言もなしかよ!?」


ルシオは不機嫌オーラ全開でソファーにもたれかかり腕を組んだ。仁王立ちして指先を動かすロレンソもどうやら納得がいっていない様だ。


「悪かった。 だがアルポが独断で動いていた事で、俺も驚いたし頭の中の整理ができていなかったんだ」


ルシオは「次は許さねーからな」と言ってお茶を一気飲みした。ロレンソは「全くだ」と言いながら次の視察場所の資料をテーブルの上に広げた。