「直哉―、ご飯できたって」
1階から、來花が俺を呼ぶ声が聞こえた、俺は、2台のスマートフォンをポケットにしまい、ソファーから立ち上がった。
そして、ゆっくりと、1階への階段を下っていく。
この香ばしいスパイスの香りからして、今日の夕食は、おばさんが得意料理とするキーマカレーだろう。
「今日はキーマカレーよ」
俺の顔が見えるやいなや、おばさんが食卓に箸をそろえながら、笑顔でそう俺に言ってきた。
俺の予想が当たった。
そしていつも通り、俺らは席に着き、食卓を3人で囲み、合掌してから、今日の夕飯に手を付けた。
花蓮さんは、今や、社会人となり、独り立ちもかねて近くではあるが1人暮らしを始めた。
そのタイミングで、俺をこのようにして、以前よりも夕飯に誘ってくれる回数が増え、今や毎夕食いただきに来ているというわけである。
おばさんもきっと、人数が1人減ることがさみしかったのだろう。
ただでさえ、人の2倍は話す花蓮さんだ。
存在が大きかったことは間違いない。
その花蓮さんの存在を埋められるとは思ってはいないが、こうして誘ってくれるのは、俺にとってもありがたいことだった。
「2人ももう高校2年生になったのね。時がたつのは早いものだわ」
おばさんが、キーマカレーを食べながらそう、しみじみと俺ら2人に向かっていった。
「私ははやく、大人になりたいけどね」
「そんな成長を焦らなくてもいいのに。いつかは大人になるんだから」
「えー、だって、大人って自由じゃん」
「まあ、自由なのは確かよね」
「でしょ?直哉は?」
「……何が?」
突然來花から、ふられた会話に、スプーンを持った手が止まった。
「早く大人になりたい?」
その質問は俺にとって、『早く元の世界に戻りたい?』という質問だった。
「……いや」
考える前に、俺は否定していた。その答えに自分でもびっくりしていた。
「え、意外。私と同じ考えだと思ったのに」
そう答える來花に、俺は愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
別れの準備をすることは簡単だ。
その準備は自分の心とは関係のないことだから。
しかし、別れの覚悟を決めることは困難だ。
それは、自分の心を押し殺すということに等しい。俺は、まだ覚悟ができていないのだ、きっと。
このままでは、きっと、あと一年後俺はまた何をしでかすかわからなかった。
また、カズヤとケントを俺の父さんのように困らせる可能性があった。
だけど、何もかもを犠牲にして來花を取りに行く、そんな覚悟もない。
勉強が人よりできたって、物覚えが人より少し良かったって、まだまだ俺は子どもだ。
何かをえるためには何かを捨てなければいけない。
うまく言った言葉だと常々思う。
――――俺は、來花を捨てて未来を取る。
そう、あの時決めたのに、まだ俺はその覚悟が全くできてはいなかった。
できそうになかった。


