思い出話や近況報告、なんでもない会話をして、楽しいには楽しいけれど、彼がここに誘い出した理由は見えないまま、時間だけが過ぎていく。

 そろそろ切り出さないと、終電がなくなってしまう。私が痺れを切らしてついに本題が何かを聞こうとした時、彼の首元に光るものを見つけた。

「指輪…?」
「ん?ああ、見えないようにしてたんだけど」

 そう言って、彼はシルバーのチェーンに繋がれた指輪をシャツの下に隠した。彼の顔に、僅かに気まずさが見える。

 私は体が鉛のように重くなっていくのを感じながら、短く嘆息をもらした。

「田代さん」
「なーに」
「どうして指につけないんですか?」
「んー、これを見なかったことにしてもらうわけには」
「いきません」

 だよねえ、と彼はおでこを掻く。言い訳を考えているときの癖だ。

 妻がいる男性が、指輪を外して昔の彼女に会いに来るなんて、そんなのどんな答えを並べても黒でしょう。

「私、修羅場は勘弁なんですけど」
「え?修羅場…ち、違う違う俺結婚なんてしてないから」

 彼から帰ってきたのは予想外の反応だった。

「じゃあ、それは?」
「はあ。…よく見てごらん」

 彼は再び指輪をシャツから出すと、チェーンを外して私に見せてくれた。

 指輪は、二つあった。

 綺麗に磨かれているけれど、新しい感じもしない、彼が持つには少し幼いデザインに見えるそれは、結婚指輪というより恋人同士のペアリングのようだった。

「これ、なんですか?」
「佳苗が大学卒業したら渡そうと思って、用意してた指輪」
「え?」
「引いた?」
「…引いてません」

 私達は、彼が大学院を卒業して就職し、私が大学四年生になったばかりだったあの頃、合わなくなった互いの時間と物理的な距離に苛まれ、耐えきれなくなったことで別れた。

 結婚の約束なんてまだまだできないようなあの頃に、彼は二人の将来を夢見てこの指輪を買ったのか。そしてそれを、今も首からかけている…。

「田代さん」
「はい」
「今日、私をここに呼んだ理由は?」

 彼は言葉を選ぶべきか少し考えて、首を小さく振ってから、言った。

「離婚、したって聞いて」
「…したね、去年」
「理由も、聞いて」
「浮気相手を妊娠させて出て行ったね」
「酷いなと、思って」
「うん、でも私も酷かったの」
「それで」
「うん…」
「遅ればせながら、迎えにきた」
「え…」

 今、なんて?

 私は頭が追いつかなくて、彼を見つめたままただただ茫然としていた。

 彼はまっすぐ私を見つめ返してくる。

 まるで私たちの周りだけ時間が止まってしまったかのように、長い長い、沈黙のあと、彼が口を開いた。