「そのほかに酒の知識もたくさん必要でしょう、とんでもない数になりそうですね」
「それほどでも。ここは私一人で回している小さな店ですからね、頼まれるお酒の種類もそんなに多くはないんですよ。格式の高い店や大きな店舗などは、お客様の好みの把握なども含めてきっともっと大変でしょうけれど」

 そう言いつつ、ちょっと誇らしそうなマスターは、彼女の初々しい反応が新鮮でよほど楽しいようだった。普段は常連客ばかりなのもあるけれど、こんなに愛想の良い姿を見たことがない。つられて僕までちょっと誇らしくてうれしい気持ちになる。

 気づけば、僕のグラスも彼女のグラスも空になっていた。もう一杯注文するか、店を出るか、少し悩んで彼女を見る。視線が交差すると、彼女は少し残念な表情で「約束の一杯、終わっちゃいましたね」と言った。その顔がまた可愛くて、よほど二杯目を提案しようかと思ったし、マスターもそれを期待しているような気がしたけれど、若い女の子と飲めて浮かれているおじさんと思われたくなくて、店を出ることにした。きっと彼女もバーの雰囲気はつかめただろうし、もしかしたらまたこの店に来てくれるかもしれない。その時に出会えたら、今度は少し長めに一緒に飲めたらいいと、そんなことを思った。

「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、お礼になったようでよかったです」
「ばっちりです、またここに飲みに来てもいいですかね」
「もちろん、ていうのは僕が言うことではないかもしれませんが」

 ふふっと、どちらともなく表情を緩ませる。カフェで出会って話したのは数分、バーでは一杯だけ、時間にすればわずかな時間なのに、妙に名残惜しい気持ちにさせられた。この気持ちがどこからくる感情故なのかがわからないほど鈍くはないつもりだが、その気持ちに素直に従うことができるほど、僕は若くない。せめて新しい友人として連絡先を聞くぐらいは許されるだろうか、きっと彼女は軽い気持ちで受け取ってくれるはずだ。そう思ってスマホを取り出そうとした時、ツン、と僕のスーツの裾にわずかな重みがかかった。

「良かったら、またこうして一緒に飲んでいただけませんか?今度はもう少し長く」