大きく息を吸って、それふうーっと大きく吐き出すこと、三回。目の前にあるチーク色の扉を引くと、いつも通りの光景が広がっている。

「やだー、門真さんまたいるー」

 店に入ってすぐのカウンター、そのいちばん奥の席で店長と話していた門真さんに聞こえるように、わざと大袈裟な言い方をする。

「やだってなんだよ依ちゃん、俺がいるのわかって来てるくせに」

 門真さんは私に振り返って、ニヤリと意地悪く笑って答える。ここまでのやりとりは、いつも通り。依子さんこんばんは、と私のコートを受け取りに来た店長に挨拶を返して、それからやれやれと言いながら彼の隣の椅子に座る。

「ヤダヤダ言いつつ、依子ちゃんはいつも俺の隣に座るんだから」
「違います〜、ここはもともと私がいつも座ってる席なので、そこに門真さんが来るようになっただけです〜」
「ハイハイ、わかってるって」

 このやりとりも、いつも通り。

「それで、今週こそは俺の彼女になってくれるつもりで来たんでしょう?」
「そういうのは、せめて指輪を外してから言ってもらえます?」

 門真さんのゴツゴツと骨張った左手の薬指には、今日もシンプルなデザインの結婚指輪が綺麗におさまっている。

「正直な男だから、俺」

 悪びれる様子もなくニコニコとしている彼を見ると、毎度殴ってやりたい衝動に駆られる。

「それならこんなところで寂しい独身女口説いてないで、奥さん大事にしてくださいよ」
「いーんだよ、あっちだって今頃他の男と出掛けてるんだ」

 少し寂しそうに言うところが、ずるいと思う。本当は奥さんのことが好きなんだって、彼の表情が物語っている。

「そんなことより、乾杯しよ。それで今週の依ちゃんの話を聞かせてよ」

 ふわっと笑う門真さんの目が私を捉えて、寂しさは奥へと隠された。私は「仕方ないなあ」と言って店長にビールを頼んだ。