~Side Story~
[夏向目線]
幸音のピアノコンクールが終わって数週間。
俺は引っ越す準備をするために、部屋を片付けていた。
……あの日、コンクールで幸音は今までで一番の演奏を見事に観客の前で弾ききった。
観客側から見える、幸音の姿はとても嬉しそうで、そしてどこか遠い存在に感じた……。
元から幸音がすごい天才ピアニストだと言うことは分かりきっていたことだ。
だが、転校先の学校で幸音と出会い、友達になったことで、そういう事をすっかり忘れてしまっていた。
幸音は、俺のような凡人なんかじゃない。
プロの音楽家の家庭に産まれてきて、ちゃんとそれを親から受け継いでいる。
……幸音は、本当にすごい奴だ。
小さい頃、ピアノが嫌いだった俺は、今考えると親孝行なんて全く出来ていなかった。
ピアノの練習をするのが苦痛で、それから逃げ出して、サボった事だってしょっちゅうあった。
それでも、両親は諦めずに俺を捕まえては、音楽を俺に教えこませた。
……そんな時、俺は日本に行く機会が出来たことで、日本のコンサートを観に無理やり連れていかれた。
ピアノは所詮ピアノだ。
だから、それ以下でもそれ以上も有り得ないと、俺はずっと思っていた。
なのに、あの日俺のその考え方を否定する奴が目の前に現れたのだ。
大人ばかりの舞台の上で、たった一人だけ幼い顔をした、小さなピアニスト。
その子の名は、如月幸音と言った。
初めてのコンサートなのか、彼女はガチガチの姿のまま出てきて、表情が固まっていた。
まるで、ロボットみたいになって出てきたのだ。
そんなガチガチな彼女を見て、最初は笑いそうになった。
こんなに緊張していて、あんな大きなピアノが彼女に弾けるのかと。
そんな事を思いながら、俺はその子の演奏を待っていた。
だけど、その考えは予想の範囲内を超えて、俺の思っていた事をぶち壊したんだ。
彼女が弾いていたトロイメライの曲は、俺でも弾けるような難易度の優しい曲だ。
……それなのに、彼女は俺の出せない音を響かせていた。
何故、俺でも弾けるあの曲が違う音色に聞こえるのか、俺は不思議でたまらなかった。
それが、幸音から目が離せなくなった瞬間だった。
あんな風に弾く事が出来たら、俺もピアノを弾くのが楽しくなるのだろうか、ただ、ピアノを演奏しただけで、舞台の上であんなにも嬉しくなるのだろうか。
俺は、その答えが知りたくてそれから必死にピアノを猛練習した。
サボらずにいつもの倍の時間、ピアノに費やしていた。
でも……どれだけ弾いても、俺は幸音のような音が出せなかった。
海外に戻って、コンクールに何回か出たりもしたが……俺は一度も成績を残せなかった。
両親に、ピアノの才能がないと言われても、俺は彼女の隣に立ちたくて、明くる日も明くる日もピアノを弾き続けた。
……弾き続けていたのに、俺には音楽家にとってすごく痛い不幸が俺に降り掛かったのだ。
あんな事が起きなければ、俺は今でもピアノを弾けていたのだろうか?
……でも、今さらそんな事を思ったところで、俺にはもうピアノを弾く事なんて出来ない。
ピアノを弾く資格が、今の俺にはないのだ。
だから……そんな俺でも、たった一つだけ願いを叶えたかった。
それを叶えるために、俺は幸音のいる学校に入学したんだ。
……そして、あの数週間ほど前のピアノコンクール。
あのコンクールを見て、俺はもう全ての未練が無くなってしまった。
これ以上はもう、幸音の傍に居られないと思った。
……だから今日、俺は海外に戻ろうと思う。
元々俺は、未練が無くなったら海外に戻る約束をしていた。
如月には一つだけ嘘をついてしまったが、俺がバイトをしていたのは、海外に戻る為の費用を稼ぐためだ。
……これで、良かったんだ。
幸音は、俺が急にいなくなったら、どんな表情をするのだろうか?
悲しい顔を、してくれるのだろうか?
もし、海外に戻る前に幸音にあったら、幸音は俺を引き止めるのだろうか?
幸音は、俺がいなくても学校で笑って過ごせるだろうか?
……いや、今の幸音ならきっと、俺がいなくたって新しい友達作って、楽しい高校生活を送ることが出来るはずだ。
そのために、俺は今まで幸音の周りの環境を変えてきたんだ。
……きっと、大丈夫だろう。
幸音にもう一度、会いたかったが……会ってしまったら、俺はずっとここに残りたいと思ってしまうから……
だからあえて、幸音には会わずに日本を旅立つことにする。
幸音のことだから、何も言わずに行ったら過去のトラウマが蘇るだろうから
空港に行く前に、幸音の家に寄って遥貴に幸音宛の手紙を渡しておこう。
……俺は準備が整い、全ての荷物を持ってこの家から出ていく。
幸音、こんな俺にたくさんの思い出をありがとう
少しでも、俺を友達にしてくれてありがとう
これで俺はもう、何の悔いもない
だから幸音は、いつまでも笑っていてくれよ
ふと見上げた朝の空は、太陽がキラキラと輝いていた

