「一つ、安心材料を与えてやる。この学校でトップクラスの連中は、オーディションには多分エントリーしない。大きいコンクールも控えているだろうし、そもそも、そのレベルになるとそいつらにもプライドがあるからな。俺と連弾しようなんて思わないだろ。だから、そう怖れることもない」
そうだとしても、私より弾けない人なんてほとんどいない――。
そんな後ろ向きなことを考えていると、二宮さんが私の顔を覗き込んで来た。
「バカ。これは、文化祭だ。コンクールでも試験でもない。客と自分が楽しむために弾くピアノ。それって、あんたお得意の分野なんじゃないの?」
にやりとした二宮さんの目をまじまじと見つめる。
楽しむ。文化祭で、聴きに来てくれた人に楽しんでもらうための、演奏なのだ。
完璧に、他の誰よりも上手に――そんなことばかり考えていた。
楽しんでもらうという視点を忘れていた。
「自分のアピールポイントを最大限に生かし、足りない部分を補う。そして、人を楽しませる演奏をすること。だいたい、あんたのレベルじゃ急に何もかもが出来るようになるわけじゃない。難しく考えないで、それだけ考えてりゃいいんだよ。『本気でやる』のと『楽しむ』こと。あんたならな、両立させられんじゃないの? 」
俺なら絶対ムリだけど――そう言って二宮さんが呆れ顔で笑う。
本気で何かを目指すこと。それと、ピアノを楽しむこと。
その二つが同時に成り立つだなんてこと、考えたこともなかった。
もやの中を手探りで歩いているみたいだった私に、一筋の光が見える。
「ありがとうございます。少し、何かが見えた気がします!」
気付けば、勢いよく頭を下げていた。
「……ほんっと、世話のかかる奴」
ぼそぼそと吐き捨てながらも、その目は、ほんのちょっとだけ優しく見える。
「二宮さんの期待を裏切らないよう、頑張ります!」
「別に、あんたに期待なんてしてねーよ」
この二週間、暗闇の中を手探りで練習していたみたいな気分だった。
絶対に落ちたくない。そんな気持ちばかりで焦っていた。
でも、その気持ちと同じくらい、誰かを楽しませたいという気持ちをを忘れちゃいけなかったんだ。
私が何かに迷っている時。大事なことが見えなくなっている時。
気付くと、二宮さんが現れる気がする。
そしていつも、気付けなかったことを気付かせてくれる。
意地悪でいて、実は、とても面倒見のいい人――?
これまでを振り返れば、そう思えて。
初めて本当の二宮さんを知った時は、失望した。
でも、もっと知るようになったら、その裏の裏にある顔も見えるようになった。
だからこそ、あの人と一緒に演奏したい――。
その気持ちから、オーディションで選ばれたいという願望がさらに強くなった。
コンクールもオーディションも避けて来た私にとって、初めて味わう感覚だ。
私に貼られたレッテルを覆したいなんて気持ちは、どこかに行っていた。
ただただ純粋に、あの人と一緒に演奏したい。
そして、もっともっと、変わって行く自分のピアノを聴いてみたい――。



