「女の子なのに工作やスポーツが好きなんて、『変わってる』ね」と。
 それに合わせて言われた言葉が、「たまには『女の子らしい事』もした方がいいよ」
という、今となっては意味不明な言葉。

先生自身が男女を差別していたのか、私を思った上の単なるお節介なのか、どちらにしても、私からすればいい迷惑だった。
ただ、当時の私はその先生の言葉を真に受けてしまい。「自分はおかしいんじゃないか?」と思い始めた。そしてしばらくの間、『女の子らしい事』をやってみる事にした。
いつもはズボンばかりしか履かないけど、可愛らいしいフリルのついたスカートを履いてみたり、髪をツインテールにしてみたり、女の子らしいアニメのポーズを真似してみたり。
ただ、そんな事をしても、全く楽しくなかった。むしろ、わざと馬鹿を演じている芸能人みたいで、自分自身に嫌気がさすレベル。
そんな奇行に、周りのクラスメイトたちも動揺していた。「好きな人でもできたの?」なんて噂を囁かれる始末。
むしろ、DIYをしたい欲が抑えきれなくなり、もう全てが吹っ切れてしまった暁には、スカートは箪笥の一番奥に封印、髪も結わず、早速トンカチや接着剤を手に、DIYを満喫した。
この時期をきっかけに、私は生粋の工作好きである事が自覚できた。それに、自分はもう無理して女の子を演じる必要がない事も分かった。
何故なら、偽れば偽る程、人は離れていってしまう。そう、霊感を武器に人から好かれようとしていたHさんの様に。むしろ自分の自由気ままな性格を曝け出した方が好かれた。
自分の好きな工作に打ち込みしながら、男勝りな一面も見せつつ、女の子グループの会話にも躊躇なく加わる。それが周りが求めていた『私』だったのだ。
父も、私が工作好きなのを否定しなかった。むしろ肯定しかしかなかった。
娘と共に好きな事ができる喜びもあったと思うけど、それより父は、私の工作好きを邪魔したくなかったんじゃないかと、今改めて思える。
それは、シーズさんを見れば分かる。自分自身を偽りながら他者と関わりを持つ事は、苦痛でしかない。だから父が好きだったのは、『ありのまま』の私。
お節介で、ちょっとぶっ飛んでいる、天然気質な私を。でも、この世界でも『ありのまま』の私が頼りにされているんだから、父の教育方針は、決して間違っていたわけではない。