しかしイリーナが現れることはなく授業が始まってしまう。事情を訊こうにも、彼女の兄に会えたのも授業が終わってからのことだった。
 その兄オニキスは、昨日実家からの呼び出しを受けている。他家の事情に介入するのはあまり褒められたことではないが、アレンはどうしても気になって声をかけてしまった。

「オニキス、昨日は大丈夫だったのか?」

 そこでアレンは自身が不安を感じていることに気付く。だからこそマナー違反でありながらも顔を合わせるなり詰め寄ってしまった。滅多に顔色を変えることのない友人が疲れたような雰囲気を醸し出していたことも原因の一つだ。これはよほどのことがあったに違いない。

「問題はない。少し、家で問題が起きてな」

 オニキスは冷静を装うが、何かあったことは明白だ。

「随分と疲弊しているが」

「これはあの後母さんにもう一時間待たされて……いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 オニキスの口からは具体的な内容は何一つ明かされない。それはつまり、ここでは言えないようなことなのだろう。それでいて至急自宅へ帰ることを求められるほどの緊急事態だ。

「力になれることがあれば遠慮せずに言ってくれ」

 なんだ。何を隠している? 親切を装いながらもアレンは引き下がれなかった。

(何故そうも追求する? 俺は何がそんなにも不安なんだ?)

 友人だから心配するのか。それとも別の――

(どうしてそこでイリーナの姿が浮かぶんだ?)

 あと少しで答えを掴めそうな気がした。

「感謝する。だが本当に……俺たちには手の施しようが」

「手の施しよう?」

 その言葉に思い浮かぶのは病気がちだと言われている婚約者候補の存在だ。アレン自身は何度もイリーナと面会しているため健康だと認識していたが、それは単なる思い込みだったのだろうか。

「まさかイリーナに何かあったのか!?」

「あ、いや、それは!」

 図星を指されたオニキスはとっさに顔を背けた。名前を挙げられたことで幼いイリーナの姿が頭に浮かんでしまったのだ。

 兄様と愛らしく名を呼ぶ姿が――

 とっさに顔を背けていなければ、今にも思い出した愛しさにみっともなく表情が緩んでいただろう。そのような締まりのない顔を友人に見られるわけにはいかない。表情筋を整えてからオニキスはアレンと向き合った。