「だ、大丈夫です! どこも悪くないです!」

 察して欲しい。全てを思い出した今、アレンに心配という迷惑をかけることさえ怖いのだ。
 しかしアレンは納得しない。

「手も、こんなに震えて」

「ひっ!」

 手を握られたイリーナは衝撃のあまり悲鳴を上げて身を引いた。いずれ自分を破滅に導く人が慰めのように手を包んでいる。耐えられたものではなかった。

「申し訳ありません、申し訳ありません!」

 何度も謝れば、アレンはますます訳が分からないという顔をする。これまでの自分はどうやってアレンに笑いかけていたのだろう。今はもう、彼を前にすると口元が引きつってしまう。

「どうして君が謝るんだ?」

「それは……」

 悪役令嬢でごめんなさいとは言えない。

「プレゼントを落としてしまったので、気分を悪くされましたよね。申し訳ありませんでした」

「そんなことはどうでもいいよ。俺は君が心配で」

「……そ、そうなんです! 実は先ほどから気分が悪くて! 申し訳ありません失礼致します! 申し訳ありませんでしたー!」

「イリーナ!?」

 イリーナはアレンの手をふりほどいて走り去る。けれどもしっかりと謝罪は忘れていなかった。

(怖い、怖い! アレン様が怖い!)

 イリーナは蒼白になりながらも庭園を駆け抜ける。ところが角を曲がると冷静さを欠いていたせいで人とぶつかってしまった。相手は自分と同じ年頃の男の子だが、先に体勢を立て直した彼が手を取って助けてくれた。

「大丈夫!?」

 前を見ていなかったのも、庭を走っていたのも自分だ。それなのに先に謝られては申し訳ない。背後にアレンの姿がないことを確認してイリーナは謝った。

「ごめんなさい。急いでいて、きちんと前を見ていなかったの」

 ところが相手の男の子はイリーナに非があるにもかかわらず、柔らかな空気を変えることはなかった。

「僕は平気ですよ。お嬢様に怪我がないのなら良かったです。それに、こうして会えて良かった」

 イリーナがぶつかった相手は薄いシャツにズボンという軽装で、明らかにパーティーの招待客ではない。イリーナをお嬢様と呼ぶのだから、屋敷で働く誰かの息子だろうか。

(そういえば、庭師の息子が私と同じ年頃だと聞いたわ)

 遠くからではあるが、父の手伝いをしているのを見たことがある。そんな彼が何故イリーナに会えたとを喜ぶのだろう。

「会えて良かったって、私に?」

「はい。僕もお嬢様にプレゼントを渡したくて! 僕、庭師ヘンリーの息子でジークっていいます。パーティーには出席出来ませんが、僕もお嬢様をお祝いしたかったんですよ。お嬢様、誕生日おめでとうございます!」

 言葉と一緒に差し出されたのは小さなスミレの花束だ。結ばれたリボンが子どもらしくて可愛い。

「この花、僕が育てたんです。お嬢様に似合うと思って摘んできました」

「ありがとう」

 あのプレゼントの後だ。花束のプレゼントが平和的に思えてイリーナは深く考えることなく受け取っていた。
 小さな花を集めた素朴な贈り物が微笑ましい。微笑ましいが、その様子を見つめていると何かを思い出しそうになる。