一つ思い出せばイリーナの中には前世の記憶が溢れ出す。
 濁流のように押し寄せる記憶はこことは違う魔法の存在しない世界。けれど文明の発達した、なんでも叶う夢のような世界。そこで生まれ育った自分は毎日必死に働いて、給料はすべて趣味のために注ぎ込んでいた。
 そんなかつての自分が大好きだった乙女ゲーム。魔法学園を舞台とする『魔女と精霊のライラリテ』は生まれ変わったこの世界と良く似ている。自分が知る国や機関の名称、生きている人たちの名前、イリーナを取り巻く環境、そして何より差し出されたプレゼントが……

(同じだし!)

 アレンからのプレゼントは悪役令嬢イリーナが身に着けていたものと同じだ。黒髪に映えるような色合いと細工はどうやら攻略対象からのプレゼントだったらしい。どうりで十七歳になったイリーナが大切にしているはずだ。今のイリーナとしては投げ捨てたい気分だけれど。

「イリーナ?」

 我に返ると優しいアレンは声を無くしたイリーナの心配をしていた。

(私を破滅に導く人が私の心配をしている……)

 なんて不思議な光景だろう。イリーナはアレンの心を得るために悪役令嬢となってしまうのに。
 ゲームの記憶を取り戻し、一度そう認識してしまえば優しい声が急に怖ろしく思えた。気遣うような眼差しも、哀れみを帯びているようで逃げ出したくなる。

「いやぁっ!」

 恐怖に耐えきれなくなったイリーナは手にしていた箱を落としてしまった。つぶれてしまった箱を目にしたアレンは何を思っただろう。

「あ、も、申し訳ありません!」

 気分を悪くしたに違いない。彼の機嫌を損ねては破滅への距離が近づいてしまう。

「いや、それよりも……顔色が悪い。気分が悪いのか?」

 アレンが狼狽えるのも当然だ。これまでのイリーナはアレンのことが大好きだと、誰の目にもわかるような振る舞いばかりだった。姿を見つければ笑顔で近づき、迷惑も顧みずべたべたと傍について回るのだから。
 それが急に怯えて距離を取るような振る舞いをすればおかしいと感じるだろう。けれど今ならわかる。

(私はアレン様に選ばれたわけじゃない。アレン様は私のことなんて好きじゃない!)

 笑顔の裏ではイリーナのことをうっとうしく感じていた。今日だって、たまたま予定があいていただけのこと。たまには婚約者候補の機嫌をとるようにと両親から言われて来たのだろう。これは単なる侯爵令嬢のご機嫌取り。決してイリーナに会いたかったわけじゃない。