走って汗をかいたりしたくない。
 けれど、彼女に逢いたいという気持ちが、足の動きを速めていく。
 目的の場所にたどり着いて、そこへ入る前に呼吸を整える。息を吸って、吐いて、目の前の扉を開けると、紙の匂いと紙の擦れる音に包み込まれた。

「遅れてごめん、月島さん」

 歩きながら、きょろりと辺りを見回せばすぐに見つけられてしまうその美貌を隠す(すべ)はないのだろうかといつも疑問に思う。

海鋒(かいほう)くん、」

 試験一日目、お疲れ様。
 にこりと微笑んで、天使のような美声でこそりと囁いてくれる月島さんは、もはや天使を越えて女神だ。神々しい。(ひざまず)きたい衝動をぐっと堪えて、「月島さんも」と返事をしながら、彼女の真向かいに座る。
 背の高い無数の本棚と、二十前後あるテーブルと椅子のセット。普通の声量だろうとぺちゃくちゃと喋り続ければ、睨まれ、咳払いをされ、つまみ出されてしまうここは市が経営する図書館だ。

「数学 Ⅰ 、どうだった?」

 なのに彼女は、口元に手を添え、二度目のこそりを投下する。天を仰ぎ叫びそうになるのを何とか堪えて、「結構出来た。月島さんのおかげ」と返せば、またしても彼女は、「よかった」と滅多に見せないレアな微笑みをその美しい顔面いっぱいに浮かべた。

「……尊い」
「え?」
「あ、いや、何でもないッス」

 なるほど、ここが天界か。