荷物はもともとまとまっていたからすぐに出ることが出来た。
逃げるように漫画喫茶から出ると、店員が店の外で電話をかけているのが見えた。
気のせいかもしれない。でも。
遠くてパトカーのサイレンスが聞こえた。
俺たちは走って逃げた。
すれ違う人々は俺たちに怪しげな視線を投げてくる。「何、あの子たち」というふうに。
とは言ってもまだ朝。人通りは少ない。
しばらくして、まずいことに気がついた。
辺りは中年のおっさんや二十代の女で溢れていた。そして目の前にはホテルというホテルがきらきらとそいつらを誘き寄せていた。
俺はきまりが悪くて人通りの少ないところへ早歩きで瑠奈を引っ張った。
まだ小学生とはいえ、そこそこ大人の肩から胸まで露出されていれば、反応しないことはない。
興奮と言えば聞こえが悪いけど、否定は出来ない。
「大丈夫?」
瑠奈は俺の顔を覗き込んで尋ねる。
胸がどきどきして、顔と体が熱い。
「ん……」
ちょっとやばい。瑠奈、話しかけないで。
「あれぇ〜っ?」
最悪なことに、胸や太ももを激しく露出させた女二人が俺たちに話しかけてきた。
「ボクたち、どうしたのぉ?」
「何でこんなトコに居るのぉ〜?」
「ちょっとオネーサンたちと遊ばな〜い?」
そして瑠奈の肩を掴んだ。
瑠奈は怯えたような表情でフリーズしてしまっている。
俺は咄嗟に瑠奈を奪うように抱いた。
「触んなよ!このビッチが!」
すると女は「何よ!このガキっ!」と言って、俺の胸を押し、壁に向かって突き飛ばした。
俺は少しよろめいたけど普通に立った。
「え、待って?」
すると女は再び俺の胸を触った、というか揉んだ。
「触んなッ」
俺が女の腕を払いのける。
「コイツ女だよ!」
「マジで?」
「えっ、ちょっ。ヤバぁ」
そう言ってゲラゲラ笑った。
「あれ?コッチさ、ニュースのヤツじゃん?」
やばい。
「え?わ、ガチだー!やばやばっ!」
「通報しよ」
「ツイートしとこぉ〜」
女たちはギラギラにデコレーションされたスマホをいじり始める。
「瑠奈」
俺は小声で言う。
瑠奈と俺は走り出した。
「あっ、ちょっとぉ!」
女が何か言ったけど、振り返らず走った。
大丈夫だ。きっと捕まらない。
家から二県も離れているし、足も速いし。
大丈夫、大丈夫……。
走り疲れると、人気の少ない公園に入った。
「休憩」と言いながらスポーツドリンクを買って飲んだ。
遠くてパトカーのサイレンスが聞こえた。
疲れと寝不足で睡魔が襲って来るが、慌てて起こす。
寝るな。寝たら捕まる。
「ちょっと、君たち……」
振り向くと、警官がいた。
まずい!
「瑠奈っ」
俺たちは手を繋いで走り出した。

細い路地から繁華街やら色んなところでまいたけど、人混みは避けた方がいいことを知った。顔バレしてるからな。
俺たちは人気のなさそうな暗い公園にたどり着いた。
公園の横には廃屋があった。
申し訳ないけど勝手に上がらせてもらった。
そこまで汚いわけじゃなくてよかった。ほどよく埃は舞ってるし積もってるけど、ガラスが散乱してるとかそんなことはなくて、普通の「家」って感じ。
二階には布団が三つ敷いてあり、疲れていつでも眠れそうだったからありがたかった。
俺はスマホを起動した。
警官や人の気配はない。安心して眠れる。
『女の子が髪が長いことは「普通」。でも男の子が長いと「ロン毛」などと思われる。つまり、周りの人はその人のことを「異常」と見做してるってことだろ。なんでなんだよ。どうして女は女らしくしければいけないの?どうして俺は「普通」でいなければいけないのか?
どうして人は「男」と「女」で分けられるんだよ?最近は「中性」や「無性」なども出て来てるけど実際、就職するときや他にも身近なときに使用される書類は「男性か女性か」に丸をつけることになってんじゃん!俺は人の性別を無理に「男」か「女」の枠にはめ込まない、性別に囚われない世界を創りたいと思うよ。性別関係なく差別を無くし、それぞれの性別や障がいを「個性」だと思ってもらいたい。あと自分の意思や個性を主張することは大切だと思うけど、それを他の人に押し付けることはその人を否定してることになるよなぁ?』
『僕たちは長年「障がい者」だと言われて来たけど去年WHOが障がいの枠から外したというニュースご報道されましたね。「性同一性障がい」は「性別不合」という名前に変わりました。ホルモン治療や乳房摘出手術、性器切除などを行う人々もいます。でもそれは保険に適用されていません。全て自己負担です。
他にも私に例えると心は女性でも戸籍上は男性なのでトイレや温泉などは女性用を使用できません。かと言って男性用の使用を強要するのはセクシュアル・マイノリティ、つまり本人の意思に反するので出来ません。
これらのように私たちのような人々はとても不便や悩みを抱えています。
私はこれらのような課題を解決したい、また解決してほしいと願っていますが、そう簡単ではありません。
例えば戸籍は男性のままでも「性別不合だ」と申し出れば女性用の温泉を使用できるようになれば事件が起こる確率が高くなったりします。このような課題をどう解決すべきか、人々は話し合い、実行すべきだと思います!』
俺たちはYouTubeにこの動画を投稿し、寝た。
翌朝YouTubeの観覧者数を確認すると、素晴らしいほどにバズっていた。
「パスパース」
「おーい!こっちこっち」
外から子供たちの声が聞こえてくる。
昼は意外と人が集まるみたいだ。
ガシャーン
隣の部屋から窓ガラスの割れる音が。
「あーっ!馬鹿やろー」
「めんどくせーなぁー」
「優大が強く蹴ったからだろーっ」
「お前取ってこいよ」
やばい。家に入ってくる。
「出よう」
「うん」
家を出たときにはすでに子供たちがドアの前にいた。
「あれぇ〜?人いんじゃーん」
一人の子供が大声で言うと、他のキャッチボールをやっていた親子が振り向いた。
「ねぇ、あれって……」
走り出した。
すぐに警官に囲まれた。
まいてもまいても、追いかけてくる。俺たちの邪魔をしてくる。
死ぬまで追いかけてくるんだ。
時間が過ぎれば過ぎるほどに警官は増え、メディア関係の輩もどんどん増加して行った。
何を逃げられると勘違いしていたんだろうか俺らは。
無理だ。
終わった。
疲れたもん。もう。
瑠奈だってゼェゼェ言ってて可哀想だし、俺も息をするたび肺が破れたみたいに痛い。血の味が口に広がる。
「もうムリだよ。ユウくん」
判ってる。判ってるけどさ。
ここまで来たんだ。やっと逃げてこれた。俺たちだけで短い間だったけど、幸せに過ごして来たのに。また?
また、あの地獄に戻れと言うのか?また堕ちろと言うのかよ。
這い上がって来たんだよ。毎日、毎日を死に物狂いで生きて来たんだよ。そんなのさ、死ねって言ってるようなもんじゃん。
諦めんの?諦めちゃうの?瑠奈は。
俺はヤダよ。
逃げても逃げても、黒い影は追いかけてくる。この世界が変わらない限り。この世界が終わらないまでは。
変えたい。変えたいさ。でもさ、無理じゃん?俺たち、結局は社会に要らない存在じゃん。むしろ邪魔だろ?
悔しいけどあいつらの言ってることは正解なんだよ。
俺には解らないよ。
模範解答が。
諦めれば生きることが楽になるのか。このまま進めばいいのか。世界は変えられるのか。
答えはなんなんだ、瑠奈?
もし諦めたら、捕まって保護観察処分か何か下されて、また家に帰るんだろ。その後は諦めて子供らしく勉強して、時に遊んで、親に従って友達と仲良く喋って、どんな嫌いな生徒にもにこやかに接して先生にも愛想振りまいて優等生。高校に入学したら学生らしくバイトして親孝行して、青春とか謳歌して、純粋に恋愛を楽しむのか。そんなの無理だな。大人になったら大企業に入社しひたすらワーク、バリバリキャリアマン?ウーマン?今度は人間らしく金ぼっかぼっか稼いで親孝行とか一人暮らしとかで大いなる最優等生。でも出来すぎてもダメだ。人間は普通よりちょっと上の方が評判が良い。行き過ぎると妬まれ僻まれ社会から木っ端微塵にされて追い払われる。時に人間らしく他人と比べたり、上司の文句を言ったり。男目ばかり気にしてパリピってるキモギャルや汗臭いおっさんにも平等に接して菓子折り渡したり?まさに素晴らしい模範解答。恋人とデート、破局して友達に相談後、友情深まるなんて、もう完璧。同じく大企業にすむ爽やかスポーツマンのボンボンに貢がれて渋々結婚、後にハッピー?
こりゃ最悪だわ。
こんな未来がいいって言うのかよ。
「ユウ」
ああ、もう分かったってば。
解ったよ。
「瑠奈ナイフ出せ。首に当てて」
瑠奈は納得したように取り出した。
別にいいだろう。こんな終わり方も。
人間ハ新シイ解答ヲ学習シマシタ。
インストール、完了。
レベルアップ!てってれー!
そして俺は立ち止まった。
俺もナイフを出し、首に押し当てる。
刃の鋭い感触が鈍い痛みを伴わせた。
警官や野次馬、メディア関係者が俺たちをぐるっと囲む。
「瑠奈、いい?」
「やめなさい!ナイフを捨てなさい!」
警官が叫ぶ。
瑠奈はにこっと笑って言った。
「うん。死の」
そして腕をスパッと切った。
地面に赤い点々の染みが出来る。
観客から悲鳴が起こる。警官が動き始めたのを見て瑠奈は静かに言った。
「次はここ」
再びナイフを首に突き付けた。
警官は動きを止め、顔を顰めた。近づけば切るぞ、と読み取ったようだ。
馬鹿だな。近づいても遠くても、もう終わりなのにさ。
ついにエンディングだ。
俺は生まれ変わる。
「瑠奈、好きだ」
「僕も」
「さようなら」
瑠奈の目からキラキラと輝く何かが頬に伝った。
笑顔で言った。
「バイバイ」
そして俺たちは切った。
駆け寄る人。
カメラや携帯を構える人。
悲鳴を上げる人。
「死ねよ、みんな」
プツン

そして俺は死んだ。