いくら色が地味とはいえ、伯爵令嬢であるアニエスのドレスはそれなりの質の物だ。
 どうせ着なくなるのだから、処分ついでに新生活の足しにしよう。
 アクセサリーは思い出の品を残して、後は売ろう。
 日常生活用の簡素なワンピースがあれば、それで十分だ。
 クロードに貰ったハンカチはどうするべきかわからないので、家を出る時にでもブノワに言って処分方法を検討しよう。

 入浴しながら方針を固めると、急いでワンピースに袖を通した。

「……アニエス様、本当によろしいのですか?」
「いいから持って来たんですよ」
「ですが、これではドレスが全滅です」

「どうせフィリップ様好みの地味色だらけですし、もう着る機会もないので、有効活用するなら売却です」
「そのお金をどうなさるおつもりですか」
「……有効活用です」

 侍女のテレーズは表情を曇らせつつ、ドレスを運ぶ。
 馬車でやって来たこの店は様々なものを売っており、同時に買取もしてくれる便利な店だ。
 テーブルに乗りきらないほどのドレスの山を作っていると、店の奥から壮年の男性がやって来た。


「これは、ルフォールのお嬢様。今日もキノコですか?」
「違います。ドレスを買い取ってもらいたいのですが」
 机の上にうず高く積まれたドレスを見遣ると、男性はうなずいた。

「なるほど。では、確認させていただきましょう」
 慣れた手つきでドレスを見始めると何やら書きとめているが、恐らく査定内容だろう。
 男性はこの店の店長で、アニエスは常連客だ。
 勝手知ったる店のソファーに座ると、大人しく店長を待つ。

「どれも質はいいですが……それにしても、地味な色合いですね」
「年頃の女性には微妙でしょうけれど、落ち着いた世代の御婦人ならちょうどいいと思うのですが」
「シンプルな装飾が多いので寂しいと言えば寂しいですが、どうせ手直しをすると考えれば問題ありませんね。アクセサリーも品があるので、売れるでしょう。……これでいかがですか」

 あっという間に査定を終えた店長は、アニエスに紙を差し出す。
 この額次第で旅費の準備の難易度が大きく変わってくる。
 緊張しながら紙を受け取ろうと手を伸ばして、うっかり店長の手に触れてしまった。

 その瞬間、店長の腕に茶色のキノコが五本ほど現れた。
 ポン、という擬音がぴったりの現れ方をしたキノコに、アニエスと店長は顔を見合わせた。

「ああ、触れてしまったようで申し訳ありません、お嬢様」
「い、いえ。こちらこそ」
 店長は慣れた様子で腕に生えたキノコをむしり取ると、じっと観察する。

「これは食用のハタケシメージですね。珍しくもないので大した値もつきません。どうしましょうか」
「……良かったら、貰ってください」
「では、お言葉に甘えて。シャキシャキして美味しいんですよ、このキノコ」
 嬉しそうに店の奥に持って行く店長を見送りながら、アニエスはため息をついた。

 アニエスが店の常連である理由が、このキノコだった。


 平民時代に桃花色の珍しい髪で男性に散々絡まれたアニエスは、ちょっとした男性恐怖症気味になってしまった。
 そして、精霊の加護を持つアニエスのその心に反応して、何故か相手にキノコが生えるのだ。
 恐怖などの感情が大きければ大きいほど、キノコは大きく、多く、毒になる。

 散々アニエスをからかった近所の男の子達は全身キノコまみれになり、アニエスは『桃花色のキノコ姫』と呼ばれるようになってしまった。
 実に忌まわしい過去である。

 家族ならば安心できるからか、父のブノワや弟のケヴィンには滅多なことでは生えないし、生えても食用だ。
 婚約当初はフィリップにも生えていたが、早々にへなちょこ野郎だと気付いたら、大したキノコは生えなくなった。
 どうにもならない手のかかる弟と認識すると、更にキノコは生えなくなった。
 貴重なノー・キノコ枠の男性だったが、婚約破棄されたのでもう仕方がない。

 キノコまみれの生活など無理だろうから、アニエスは結婚を諦めた。
 ブノワは信頼関係を作れば大丈夫というが、ある意味信頼していたフィリップからのあの仕打ちだ。
 今更男性を信用などできない。
 それに何だかキノコの感度が上がってしまった気がするし、もう無理だと思う。


「さて、大物は売ってしまいましたし。金策を考えなければいけませんね」
 自室に戻ったアニエスは、腕を組んで手元に残ったドレスを見下ろした。

 店に持っていったのに、あまりにも地味色すぎたために値がつかなかったものだ。
 ドレスとしては使い道も買い取り手もないが、生地自体は質がいいのだから捨てるのはもったいない。
 アニエスは裁縫道具を取り出すと、裁ち(ばさみ)を手に取った。


「……姉さん、何しているの?」
 無心で裁縫をしていると、いつの間にか隣の椅子に人影がある。
 金髪に鳶色の瞳の少年は、弟のケヴィンだ。

「何って。スカートと髪飾りを作っています」
「何で?」

「ドレスを解体した生地の有効活用です。捨てるのはもったいないですからね」
「そうじゃないよ。何で生地があるの。ドレスを解体って、何?」

「あら。ケヴィンは知らなかったんですね」
 婚約破棄騒動の後に、もう着ないからと地味色ドレスを処分したことを伝えると、ケヴィンは大きなため息をついた。

「……姉さんは極端なんだよ。地味な色のドレスって、もうほぼ全部のドレスじゃないの?」
「それが、あまりにも地味すぎてどうにも売れない物が数着ありまして。それを解体してスカートを作って、残りを髪飾りのリボンにするところです」

「それ、伯爵令嬢のすることじゃないよ。お針子の技術だよ。姉さんは何を目指しているんだ」
「王族の端くれと結婚して、伯爵夫人になるところでした。でも、これからは平民を目指します」

「何でそうなるの?」
 紅茶を用意するテレーズをちらりと見たケヴィンは、うなずき返されるのを見て、またため息をついた。




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ここから、徐々にキノコ率が上がっていきます。


【今日のキノコ】
ハタケシメジ(畑占地)
淡灰色~褐色の傘を持つ食用キノコ。
見た目は傘に模様のない、やる気のない椎茸。
歯ごたえシャキシャキ&深い風味で食用としていい感じらしい。食べたい。