ブノワとの話を終えると、そのまま庭に出る。
 最近は薬草の栽培にも慣れてきて、数も増やせるようになってきた。
 家に残るのだとしたら、薬草栽培と販売で家に貢献するというのもいいかもしれない。

「……ああ、でも狙われるのなら、かえって迷惑になりますよね」
 やはり、適度な量を売るべきだろう。
 それに契約が終わればクロードやモーリスは同行しないのだから、一層気を付けなければいけない。


「姉さん、ここにいたの」
 薬草に水をあげていると、屋敷の中からケヴィンがやって来た。
 日の光を浴びて、金の髪が輝いて見える。
 あんな風に美しい色だったら、と何度思ったことだろう。
 桃花色の髪への思いとは別に、アニエスはケヴィンとブノワの黄金色の髪が大好きだった。

「どうしたの?」
「いいえ。ケヴィンの髪は綺麗だなと思っただけです」
 水やりを終えてケヴィンのそばに行くと、捲り上げていたスカートを直す。

「……ねえ。まさかとは思うけれど、殿下の前でもその格好をしていないよね?」
「一度だけですね。何だか驚いていました。やはり不敬ですから、その後は気を付けています」
「そりゃあ、驚くよ……」

 確かに、深窓の御令嬢はスカートを捲り上げて足を出すことなどない。
 それを言ったら、そもそも畑仕事をする貴族令嬢自体がいないだろうが、まあ怒ってはいなかったので良しとしよう。


「それで、殿下とは最近どうなの?」
 これはまた、抽象的な質問だ。
「どうもこうも、相変わらずのキノコの変態ですね」
「そう。フィリップ様には()()()いない?」
 何だか妙な言い方なのは、気のせいだろうか。

「この間、クロード様に撃退された時からは見ていないです」
「それは良かった。頑張った甲斐があるよ」
 笑顔で言われても、何のことだかよくわからない。

「どういう意味ですか?」
 ケヴィンは置いてあった(くわ)を持つと、肩に担ぎあげた。
「あれから何度かフィリップ様はうちに来ているんだ。でも、全部追い返している」

 追い返すというタイミングで鍬を振り下ろしたので、何だか不穏な言葉に聞こえてしまう。
 まさか鍬を持ってフィリップを追い返したわけではないと思うが、少しばかり怖い。

「そうですか。でも、何の用でしょう」
 何度か鍬を振ったケヴィンは、満足したのか元の場所に戻した。
 剣じゃあるまいし、素振りをするものではないと思うのだが。
 ……ストレスが溜まっているのだろうか。

「フィリップ様は、姉さんに依存しているから」
「何ですか、それ」
 吐き捨てるような言い方に驚いて問うと、ケヴィンの方が驚いた顔をしている。

「姉さんを自分だけのものにして隠していたいし、でもそれを気付かれたくないのが見え見えだよ」
「え? でも、フィリップ様はバルテ侯爵令嬢が運命の相手らしいですよ?」
「あれも、姉さんなら泣いて縋ってくれる。そして許してくれると思っていたんじゃないかな」

「何ですか、それ。どれだけ甘く見られているんですか」
「仕方ないよ。姉さんはフィリップ様の前では、淑女たらんと大人しくしていたから。フィリップ様は自分の見たいものしか見えない、子供だし」
 そうかもしれないが、まさかケヴィンがそんなことを言うとは思わず、ぽかんと口を開けてしまう。


「……俺達がもっと早くにフィリップ様の余計な入れ知恵に気付いていれば、姉さんもここまでこじれなかったのに」
「こじれて、って」
 真剣な表情からしてふざけているわけではないとわかるが、それにしても何だか切ない言われようだ。

「姉さんは伯爵令嬢に相応しくあろうと一生懸命だったけれど、それが裏目に出たんだ。曲がりなりにも王族のフィリップ様の言うことだから、素直に信じてしまった。――おかげで、すっかりフィリップ様の呪縛に囚われている。……ごめんね、姉さん」

 確かに、フィリップと婚約した頃は右も左もわからない状態だった。
 一緒に行動していた婚約者の言葉を、貴族社会の常識なのだろうと鵜呑みにしていた時期もある。
 しばらくして、どうやらフィリップはへなちょこ野郎らしいと気付いたが、その頃には地味な装いがすっかり定着していた。

「ケヴィンは何も悪くありませんよ。いつでも私を助けてくれたじゃありませんか。……何だか、すっかり大人になりましたね、ケヴィン」
 結果から言えばフィリップはへなちょこ勘違い浮気野郎ではあったが、それでも彼の言うことに耳を傾けたのはアニエスの選択であって、ケヴィンに非などない。
 なのに、こうしてアニエスだけが悪いわけではないと言ってくれる。
 その心遣いだけでも、嬉しい。
 ぽつりとこぼした言葉に、ケヴィンは鳶色の瞳を細めた。
 
「だって、俺が早く大人にならないと、姉さんは俺のために我慢を続ける。俺がしっかりして、家のこともできる様になったら、姉さんは好きなところに行ける。家を継ぎたいならそれでいいし、いい人がいるなら嫁いでいい」
 ケヴィンはそこまで言うと、アニエスの手を握りしめる。


「あの事故は不幸な出来事だったけれど、姉さんだけでも生き残ってくれて嬉しいと思っているんだ。でも、母さんが一緒に亡くなったせいで、姉さんはそれを負い目に感じているだろう? しかも伯爵令嬢になるにあたって、髪や精霊の加護のことですっかり萎縮してしまった」

 ケヴィンの言う『母さん』は、ルフォール伯爵夫人のことだ。
 あの日、アニエス達と一緒にいなければ。
 アニエス達を迎えに来なければ、彼女は助かっていたのかもしれない。

 言っても仕方ないことだとわかってはいる。
 だが伯母であり、ケヴィンの母であり、ブノワの妻である女性を奪ってしまったのだ。
 それはアニエスの心に深く根を張っていて、悔恨と共に恐怖の感情を吐き続けている。
 ブノワもケヴィンも優しいし、アニエスを恨んだりしていない。
 それは重々わかっているのに、あの日の光景が脳裏に蘇る度に考えてしまう。

 いつか彼らも、両親のようにいなくなってしまうかもしれない。
 いつかはアニエスを捨てるかもしれない。
 ……だったら、アニエスが先にいなくなればいい。
 捨てられる前に、立ち去ればいい。

 こんな考えが浮かぶこと自体、彼らに対する冒涜だとわかっているのに。
 それでも、また失うのが怖くて、離れようとしてしまう。
 ――本当は、離れたくなんてないのに。

「王族なのに上位貴族に相手にされなかったフィリップ様と婚約したのだって、髪色をよく思わない連中のせいで家に迷惑をかけないようにだろう? フィリップ様を好きでもないのに」
「それは」

「姉さん、俺のことは好き?」
「もちろんです。あなたも、お父様も、みんな大好きです」
「じゃあ、俺の言うことを信じてくれる?」
 手を握り返してうなずくと、ケヴィンは優しい笑みを浮かべた。


「王族とか、キノコの変態とか、騎士とか、番とか、詳しくはよくわからないけれど。――殿下は姉さんのこと好きだと思う」

 何を言うのかと思えば、まさかの内容だ。
 アニエスは手を放すと、小さくため息をついた。
「それは、気のせいですよ。クロード様が好きなのはキノコです。私のことは、そう見えるように振舞う契約だったのですから」

 そう考えると、契約内容をきちんとこなせたということでもある。
 自分の行動を評価されたのだとしたら少し嬉しくて、アニエスは微笑んだ。
 だが、対照的にケヴィンの表情は曇っている。

「それでも、絶対に嫌いじゃない」
 珍しく強く言い切る弟に、苦笑するしかない。

「仮に好意を持ってくれたとしても、番が現れたら同じことです。私は偽物で、邪魔者。それに、もうすぐ契約も終わりで会うこともありません。……でも、ありがとうございます。あなたが私を心配してくれるだけで嬉しいです」

 アニエスはケヴィンをぎゅっと抱きしめる。
 ケヴィンはすっかり大きくなったので、抱きしめるというよりは抱きつく形だが、どちらでもいい。

 クロードは少なくともアニエスを嫌っていない。
 それは自分でも何となくわかる。
 だからこそ、契約が終わったらすぐに離れようと思う。

 万が一、間違っても愚かな思いを抱かぬように。




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ケヴィンとお話し中なので、本日もノー・キノコデーです。

「今日もキノコがいないのか!」と思った方。
……それは、キノコの禁断症状です。