「今日はここまでにしよう、アニエス」
 手袋にシイターケを生やしたまま、クロードはそう言ってアニエスの手を下げさせる。
「でも、運良く生えてくるかもしれませんし」

 どのキノコが生えるのかはアニエスにもわからないが、逆に言えばまた生える可能性だってある。
 キノコならば店長も事情を知っているので隠す必要もないし、流行病のためにも薬が多いのはいいことだ

「だったら、俺でもいいだろう?」
「はい?」
 何を言われたのかよくわからず隣を見ると、クロードが眩しい笑顔でこちらを見ている。

「触れればキノコが生えるのなら、俺で十分だろう?」
 理屈で言えばそうなのだが、それを言ったら店長でも問題ないはずだ。
「ネツサガールは店長に生えたのですから、店長の方が可能性が高いのではありませんか?」
 手を握られたまま首を傾げていると、何故か店長が笑いを堪えている。

「お連れ様は、お嬢様の手に私が触れるのが嫌なんですよ。男心というやつです。察してください」
「え? 男心?」
 いや、恐らくクロードはキノコが欲しいだけだ。
 言うなれば、キノコ心だ。

 以前にネツサガールが生えた時に、かなり欲しそうだったし、今度こそ手に入れようとしているだけだ。
 だがクロードがキノコの変態だとばらすわけにもいかないので、曖昧に言葉を濁す。
 それをどう受け取ったのか、店長はにこにこと楽しそうだ。

「そのキノコのブローチ、お連れ様とお揃いですか? いいですねえ、若いというのは」
「これは……え?」
 アニエスはワンピースの胸に、クロードに貰ったキノコのブローチをつけている。
 今日でかける際に、つけているところを見たいと懇願されたので胸につけた。
 そしてそのままで出掛けたのだった。

 そして、クロードのシャツにもキノコのブローチがある。
 屋敷に来た時には確かにつけていなかったはずなのに、いつの間にか襟に青いキノコの姿があり、アニエスは仰天した。

「い、いつの間に?」
 同じ形のピンクと青のキノコのブローチをつけているだなんて、ラブラブカップルじゃあるまいし、とんでもないことだ。
 とりあえず自分のブローチを外そうと手を動かすと、その手を包み込むように握られた。

「せめて同じキノコを身に着けたいという男心だよ。今日はこのままでいてほしい」
 クロードが言い終わるよりも早く、その黒い手袋に淡い赤褐色のキノコが連続で生え始めた。
 シイターケが生えた右手に対して、左手に生えたのは八重咲の花弁の様な見た目のハナビラニカワターケだ。

 たくさん生えたことによって、クロードの左手はピンクの花で埋め尽くされたような状態だ。
 手の甲にキノコを乗せているのだと気付きさえしなければ、麗しの王子の手袋が華やかで美しい。
 キノコだと気付きさえ、しなければ。
 
 ……やっぱり、キノコ心ではないか。
 自身の手袋を彩るキノコ達に輝く眼差しを注ぐクロードを見て、アニエスは小さく息をついた。



 キノコ心を伝えられた日から、アニエスは自分でキノコを生やせないかと試行錯誤していた。
 当初はケヴィンに協力してもらっていたのだが、そもそもケヴィンにはキノコが生えない。
 仕方ないのでキノコを念じて唸ること数日。
 自分の意思でキノコを出すのは無理なのかと諦めかけていたアニエスは、ふと思いついた。

「キノコも精霊の加護の一種なら、精霊に語りかければ生えてくるかもしれませんね」

 自室の扉を閉めると、花瓶いっぱいの花の前に立つ。
 相変わらずクロードは花を贈ってくるので、アニエスの部屋はさながら花畑のようである。
 それが嬉しいのか、単に語りかけるようになって感覚が戻ったのか、光の玉は呼ばなくても姿を現すようになっていた。

「……やりますか」
 アニエスは大きく深呼吸をすると、光の玉を見据えた。


「はーい、皆さんこんにっちはー!」
 アニエスの声に反応して、光の玉が点滅を返す。
 部屋にいるのはアニエス一人とはいえ、やはりこの喋り方は恥ずかしい。

 昔はお姉さん気分で楽しくできていたが、今は心の抵抗が凄い。
 だが、そんなことを言っていては自らキノコを生やすなど夢のまた夢。
 幼児と遊んでいるのだと自分に言い聞かせると、光の玉に微笑みかける。

「今日もお願いがあるの。聞いてくれるかなー?」
 ふわふわと集まってきた光の玉は、律儀に点滅している。
「実はね、キノコを生やしたいの。ネツサガール言って、紫色のキノコで熱さましになるらしいんだけど、皆わかるー?」
 光の玉は暫しゆらゆら揺れると、短く点滅を返した。
 これは、脈があるかもしれない。

「それじゃあ、ネツサガールを生やしてくれる人ー!」
 アニエスの声に応えるように、花瓶の横からポンと小さなキノコが生えた。
 紫色の花弁の集合体の様な見た目は、ネツサガールで間違いない。
 薬になるキノコが手に入ったことも嬉しいが、精霊が呼びかけに応えてキノコを生やしてくれたことが何だか嬉しい。

「ありがとう、皆! 大好き!」
 光の玉が激しく点滅する中、アニエスはキノコをむしると、急いで部屋を飛び出した。



 本当はさっさと店に行きたいのだが、店に行く時にはクロードかモーリスを呼ぶようにと言われている。
 なので連絡を入れたのだが、さすがにすぐに来るようなものではないし、そもそも必ず来るとも限らないだろう。
 片や騎士でもある第四王子、片やその護衛も兼ねている騎士。
 どちらも暇ではないだろう。

 だが、ずっと握りしめていたせいか、ネツサガールが何となく萎れてきているのが気になる。
 店長はすぐに萎れるし、そうすると薬効がかなり落ちると言っていた。
 出来れば新鮮なうちに届けたいのだが。

「……そう言えば、今日は午前中でお店を閉めると言っていましたね」
 先日薬草を売りに行った時に、仕入れのために隣町に行くと言っていた。
 ということは、もうすぐ店は閉まってしまう。

 隣町で数泊すると言っていたし、クロードを待っていたのではキノコを売るのは数日後になってしまう。
 せっかく熱さましの妙薬を生やしたのに、傷んでしまってはもったいない。
 少し悩んだものの、アニエスは使用人に言伝を頼むと目深に帽子をかぶり、そのまま屋敷を出ることにした。




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【今日のキノコ】
シイタケ(「無関係です」参照)
茶褐色の傘を持ち、煮ても焼いても干しても美味しい、愛され食用キノコ。
「こう言っては何だが、キノコだっておじさんよりも麗しの王子に生えたい」とぶっちゃけた、カミングアウトキノコ。

ハナビラニカワタケ(花弁膠茸)
淡い赤褐色の八重咲の花弁の様な見た目の、食用キノコ。
薄切りした甘酢生姜(ガリ)にしか見えないが、どちらかというとキクラゲの親戚でコリコリした食感。
毎度乙女な気配を提供するクロードに、オトメノカサから贈られた花束……のようなキノコ。

ネツサガール(「どれだけキノコが欲しいのですか」参照)
解熱作用を持つチョレイマイタケの変異種の、紫色のキノコ。
そんなものはないので、架空のキノコ。
「なんだか最近、私の時代が来ている気がする」とようやく気付いた。