クロードはアニエスの手を引いて屋敷内に戻ると、そのままダンスの輪に入っていく。
 相変わらずのリードの上手さと優雅さは、感嘆に値する。
 こうして踊っていると、目の前の美青年がキノコを愛する変態だとは、とても思えない。
 麗しの王子のダンスに、周囲の女性どころか男性までも目を奪われている。

 王族であることを差し引いても、やはりクロードには人目を惹き付ける力があるのだろう。
 こうなると一緒に踊っているアニエスは、いたたまれない。
 実態は女性除けのキノコ発生装置とはいえ、クロードと踊っているのがあまりにも分不相応で申し訳なくなってきた。

「……あの、もうそろそろ、良いのではありませんか」
「ん? 何が?」
 踊りながらだったせいで聞こえなかったのか、クロードがアニエスに顔を近付ける。

 ――失言だった。
 これではまるで、仲睦まじい男女ではないか。

 クロードが顔を寄せたことで、周囲がざわめくのが聞こえる。
 女性達の悲鳴交じりの声はまだわかるとして、男性の声は何なのだろう。
 美貌の王子は男性すらも虜にしていて、アニエスの存在が不満ということだろうか。

「アニエス?」
 気が付くと、花紺青の髪と鈍色の瞳が思った以上に接近しており、アニエスはびくりと肩を震わせる。
 同時にクロードの腕に橙色のキノコが生えたが、ダンスの動きを利用して自然にもぎ取られた。
 半円球の形と色からして恐らくヒイロターケだが、何せ素早いのではっきりしない。

 至近距離の顔と、以前にも嗅いだことのある甘い果実のような香りも相まって、一気に緊張してしまう。
 フィリップは婚約者だったが、ダンスの時もあまり視線を合わせなかったし、こんな風に顔を近付けるようなこともなかった。
 免疫のない出来事に緊張してしまうのは当然だ。

 今度はお腹に白いキノコの束が生えたが、それもあっという間にもぎ取ってしまった。
 さっきも生えたオトメノカーサだが、気付くのももぎ取るのも、かなりの速度だ。
 やはりキノコの変態は、キノコに対する技術が並外れている。
 優秀さを余計なところに発揮しているクロードに、呆れてしまう。


「あの、顔が近いです。それに、もうそろそろダンスを終えても良いのでは」
「駄目駄目。今、ちょうど良い感じだしな」
 良い感じとは何だろう。
 困惑するアニエスに気付いたらしく、クロードが小さく微笑む。
 たったそれだけで、女性達の吐息が耳に届いた。

 クロードの目的はキノコと女性除けなのだから、こうしてアニエスと踊るのもその一環だ。
 ということは、このダンスが女性除けに良い感じの効果を生んでいるということだろう。
 ……良い感じにキノコが生えるという意味ではないと信じたい。

「アニエス、ダンスに集中して。ちゃんと俺を見て」
 前半は注意として受け入れられるが、後半は勘弁してほしい。
 既に十分近いのだから、これ以上はキノコの大量発生を防ぐためにも回避したい。
 クロードの意識を逸らすために、何か話題はないだろうか。

「ええと、殿下のつけている香水は果物の香りでしょうか? 甘い香りですね」
「ん? これは、アンズターケというキノコの香りだよ」
「そ、そうですか」
 ……まさかのキノコの香水だった。

 この麗しの王子は、どこまで菌糸に毒されているのだ。
 周囲で熱い視線を送る御令嬢達も、まさか目当ての王子がキノコの香水をつけているとは夢にも思わないだろう。
 知りたくもない情報を得てしまったが、おかげで緊張はだいぶ解れた。

 相手はキノコの香水をつけてキノコをもぎ取りながら踊る、麗しのキノコの変態王子だ。
 男性ではない。
 もはや、ただのキノコだ。

 アニエスの脳内では、キノコの王冠をかぶったクロードが、キノコ型の容器に入った香水を振りまいている。
 もう、何でもありな気がしてきた。
 吹っ切れてしまうと、ダンスはあっという間に終わった。


 緊張した状態で飲み物を飲めば、当然のように生理現象がやって来る。
 クロードから離れて手洗いを済ませると、会場に戻る途中で先程の女性達とすれ違う。
 さすがにクロード直々に警告されたせいでアニエスを取り囲むことはしなかったものの、すれ違いざまに言葉を投げかけてきた。

「殿下はワトー公爵令嬢と御一緒のことが多いそうよ」
「まあ。それでは誰かさんは、ちょっとした遊び相手なのね」
「ワトー公爵令嬢は、美しい黒髪ですもの。お似合いですわ」
 くすくすと不快感をにじませた嘲笑と共に、女性達は去って行った。

「……ちょっとしたキノコ発生装置、の間違いですよ」
 もう聞こえないとわかってはいるが、一応訂正する。

 ワトー公爵と言えば、今日の夜会の主催だ。
 彼女達の言う通り公爵令嬢と良い仲なのだとしたら、その屋敷でアニエスと踊るクロードがあまりにも酷い。
 それにしても、彼女達自身がクロードを狙っているのかと思ったら、公爵令嬢の取り巻きなのだろうか。
 いや、肝心の本人の姿がないところを見ると、アニエスに文句を言いたくて名前を出しただけかもしれない。

「……これは確かに、除けたくもなりますよね」
 女性の嫉妬も、群れた女性も、面倒くさい。
 アニエスはそっとため息をつく。
 そのまま会場に戻ろうとすると、入口の手前で見知らぬ男性に声をかけられた。


「……ルフォール伯爵令嬢、ですよね」
「はい。そうですが。何か御用ですか?」
 アニエスに貴族男性の知人などほとんどいないし、よく見てはみたがやはり知らない顔だ。
 首を傾げていると、男性が何やらそわそわと落ち着かない様子である。

「き、今日は髪をおろしているのですね」
 ……なるほど。
 桃花色の髪をおろしているのが不愉快だ、と苦情を言いたいのか。

「ええ。……気に障るようでしたら、申し訳ありませんでした」
 さっさと謝罪して立ち去ろうとすると、男性はアニエスの手を掴んで引き留めた。
 当然のように男性の肩には白いキノコが生えたが、幸いにも気付かれていない。
 キノコを見ながら、確かオシロイシメージだなと考えていると、男性がアニエスをじっと見つめる。

「違います。そうではなくて、あなたの髪が……いえ、あなたのことが――」
「――何をしている」

 男性が必死の様子で口を開いた瞬間、アニエスの背後から低い声が届いた。




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【今日のキノコ】
ヒイロタケ(緋色茸)
半円球で扁平な、緋色のキノコ。
全身錆びついたサルノコシカケという感じ。
アニエスの錆びついた乙女心を表すため、オトメノカサに誘われて生えてきた。

オトメノカサ(「大切な人だから」参照)
小さな乳白色の傘を持つ、恋バナ大好き野次馬キノコ。
乙女な気配を逃さず、今回はヒイロタケも連れてやって来た。

アンズタケ(杏茸)
橙がかった鮮やかな黄色の傘を持つキノコ。
ヨーロッパでは食用だが、国内では毒キノコ……どういうことだろう。
肉の部分は強い杏の様な香りがする。
まさかの香水加工に、本人(本茸)が一番衝撃を受けている。

オシロイシメジ(白粉占地)
白粉を塗った様な白い傘のキノコ。
消化器系の中毒を起こす毒キノコで、特徴的な味はない。
……どこかの勇者が食べてしまう程度には、美味しそうなルックスということか。
アニエスを囲む女性達の化粧に反応して生えてみたが、タイミングを間違えた。