低い声があたりに響き、女性達が一瞬固まる。
 手にグラスを持ったクロードの姿を認めると、女性達はみるみる顔色を変えていった。
 クロードは女性達を一瞥した後、アニエスにグラスを差し出す。

「アニエス、水だよ。檸檬を絞ってもらったから、少しは気分が晴れると良いけれど」
「わざわざありがとうございます」
 礼を言って口にすると、鼻から檸檬の爽やかな香りが抜けた。
「美味しいです」
 爽快感に思わず微笑むアニエスを見てクロードも目を細めたが、すぐに厳しい目つきに変わる。

「……それで。君達はここで何をしている? さっきの話は、誰のことだ?」
「ご、誤解ですわ、殿下」
「そうです。この方の髪色を、少し注意していただけで」
「以前の様に、目立たないようにまとめた方がよろしいのでは、と」

 顔を見合わせて女性達がそう言うのを聞いて、アニエスは少し驚いた。
 フィリップ仕様の姿の時には誰にも認識されていないだろうと思っていたのだが、髪をまとめているのを知っていたのか。
 だが今までそれに対する文句を聞いていないので、やはりあれが貴族的には正しい装いということなのだろう。

「俺が髪をおろすよう頼んだ。アニエスに非はない」
「え? クロード様が、何故」
「美しい桃花色の髪を見たいからに決まっている」

 クロードが当然とばかりにそう言うと、女性達は反論しようにもできないらしく、複雑そうな顔になった。
 どうやら、ここでも『ひとめぼれで首ったけ』設定を通すらしい。


「……それよりも。俺の名を呼ぶことを許した覚えはないが」
「で、ですが、ルフォール伯爵令嬢も……」

 確かにクロードの言う通り、本来は王族の名を尊称もなく呼ぶことなどない。
 アニエスの場合はクロードに指示されているからだが、それを知らなければただの不敬な女と思うだろう。
 もっとも彼女も同じことをしているのだが、それは棚に上げるらしい。

「アニエスは問題ない。――俺の、大切な人だからな」

「は?」
 女性達とアニエスは同時に声を上げた。
 慌てて口を押さえるが、クロードにはバレたらしく、目が笑っている。

「た、大切というのは……」
「結構、噂になっていると思ったんだが、知らないか? 俺はアニエスにひとめぼれして、首ったけだ」
 アニエスを含めた女性全員が、口をぽかんと開けて動けない。

 王位継承権第二位の美貌の第四王子が、公開婚約破棄された妙な髪色の平民出の令嬢に、ひとめぼれして首ったけ。
 ……やはり、無理があると思う。

「ということで、アニエスに文句を言うのはお門違いだ。彼女に危害を加えるならば、俺が排除する。わかったら、会場に戻るんだな」
 表情こそ穏やかだが、その言葉は恐らく本気なのだと思わせる何かがある。
 女性達は顔を見合わせると、慌ただしく離れて行った。


「……アニエス、大丈夫?」
 女性達が全員を離れたのを見ると、クロードはアニエスの隣に腰を下ろした。

「問題ありません。お手数をおかけしました」
「何を言われたのか、聞いてもいいか?」
「面白い話ではありませんから」
「アニエスのことなら、聞きたい」

 今は他の人間がいないのだから、そこまで契約に真摯に向き合わなくてもいいと思うのだが。
 どうもこの王子は、真面目な性格のようだ。
 こうなるとアニエスもちゃんと報告するのが、誠意というものかもしれない。

「ええと。髪色のことに、平民出に、恥さらし、勘違い、遊び相手。あとは調子に乗っている……だったと思います」
 指を折って数えていると、みるみるクロードの表情が曇っていく。

「……随分な言われようだな。アニエスは黙って聞いていたのか?」
「ほぼ事実ですし。直接言われるのは久しぶりですけれど、昨今の評価を、きちんと把握しておこうかと思いまして」

 どうやら公開婚約破棄は立派な汚点扱いのようだ。
 これがクロードの言うように親しく振舞うことで消えるのかは半信半疑だが、やり始めたのだから頑張るしかない。
 最悪、噂は消えなくてもキノコでお金は稼げるのだから無駄にはならない。

「それにしても、フィリップ様仕様をやめた途端にこれです。あの地味姿には相当な効果があったということですね」
 それと、クロードは極上の獲物らしいということが再確認できた。


「――アニエス」
 グラスを持つアニエスの手を包み込むように握ったため、クロードの手袋に小さなキノコが二本生えた。
 乳白色の傘は確かオトメノカーサだったと思うが、それどころではないので集中できない。

「これからは、何かあれば俺に言って。俺のせいで君が被害を被る事態は避けたい。……まずは牽制をしないといけないな。ああいった連中が出てくるのは困る」
「牽制、ですか?」
 クロードはうなずくとキノコをむしり、あらためてアニエスに手を差し伸べる。

「――アニエス・ルフォール。私と踊っていただけますか?」

「え? ど、どうしたんですか?」
 急に口調を変えられ、まっすぐに見つめられて混乱するアニエスの心に反応するように、クロードの腕に立て続けに三本のキノコが生えた。
 オトメノカーサが増殖しているが、やはりそれどころではないのでしっかりと確認できない。

「毎日手紙と花を贈っているというのは、それとなく噂を流したんだが。百聞は一見に(しか)かずと言うし、直接見せつけた方が早いだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください。噂を流したって、何ですか」
「言葉通りだ。事実を広めただけだよ。……さあ、行こうか」

 クロードはアニエスの手を取ると、そのまま会場に戻っていく。
 アニエスの混乱が伝わったらしく、クロードがテーブルに戻したグラスの中には赤い卵型のキノコが転がっている。
 タマゴターケのつるんとした丸みを帯びた姿に見送られながら、アニエスはクロードと共に会場の奥へと進んで行った。




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【今日のキノコ】
オトメノカサ(乙女傘)
乳白色の傘を持つ、小さくて可愛らしいキノコ。
酢の物、和え物などにされるが、くせがなくて食べやすい。
乙女な気配を感じて生えてきた、恋バナ大好きな野次馬キノコ。

タマゴタケ(卵茸)
卵型、饅頭型、平らな形に変化する、赤いキノコ。
似ている毒キノコも多く、安易に食べてはいけないが、食べたら美味しい。
親戚のベニテングタケが多忙だったため、「運命の赤い菌糸を感じたらしい」という理由で派遣された。