「こんにちは。良い天気ですね」
アニエスが話しかけると花は風もないのに揺れ、次の瞬間弾けるように蕾が開いた。
周囲の花は白いのに、咲いた花は濃いピンク色だ。
「私の髪に合わせてくれたんですか?」
肯定するように花はゆらゆらと揺れている。
「ありがとうございます。お部屋に飾っても良いですか?」
すると、問いに応えるようにもう一つの蕾が花開いた。
アニエスは笑いながら花を摘むと、もう一度お礼を言う。
気配はよくわからなかったけれど、これは間違いなく精霊の仕業だ。
これから毎日語り掛ければ、勘も取り戻せるだろうか。
部屋に戻ると、侍女のテレーズに花瓶を用意してもらう。
アニエスから花を受け取ったテレーズは、感嘆の声を上げた。
「これは珍しいですね。この花のピンク色なんて初めて見ましたよ」
ということは、精霊がアニエスのために色を変えたのだろうか。
気配はよくわからなかったが、話しかければ応えてくれたし、どうやら嫌われているわけではなさそうだ。
古い知人に会ったような感覚で、何だか嬉しい。
アニエスが微笑むと、花瓶に収まった花が少し揺れた。
「……となると、アレを試せるかもしれませんね」
アニエスは揺れる花を指でつつきながら、ほくそ笑んだ。
平民として暮らしていた頃に、お小遣いかせぎとして精霊の祝福を受けた薬草を売ったことがある。
ちゃんと見分けられる店に売る必要はあるが、普通の薬草に比べると値は跳ね上がる。
沢山売ってしまうと目をつけられるかもしれないと父と母に怒られ、ほんの少しだけしか売ったことはないが。
キノコも物によっては売れるのだが、何を生やすのかアニエスには選べないのであまり使えない。
あの祝福付き薬草を、もう一度作れないだろうか。
薬草の効果を高めるのが手っ取り早いが、伯爵令嬢である現在では森に採取に行くのも難しい。
ならば、庭で育ててみるのも良いかもしれない。
平民時代には畑も花壇も世話している。
鍬だって、貴族令嬢の中では恐らく一番上手に使えるだろう。
アニエスは庭の一角を借りると、育ちの早い薬草を植えた。
新生活の資金を稼げるのも嬉しいが、体を動かして土いじりをするのも楽しい。
思えばフィリップに合わせて、随分と大人しくて地味な生活を送っていたものだ。
こうして自由になってみれば、寧ろ婚約破棄されてありがたいとさえ思ってしまうのだから、面白いものだ。
そして、舞踏会の日がやって来た。
前回の舞踏会から今日までクロードから毎日花が届いたために、アニエスの部屋はすっかり花だらけだ。
ほんのりと見えるようになってきた精霊の光の玉は、頻回に花の周りを飛んでいるので、どうやら喜んでいるらしい。
気になるのは、支払いはどこなのかという問題だ。
国庫ならば問題外なので、即刻やめて欲しい。
だがモーリスによると、あくまでもクロードの私財だという。
それはそれでどうなのかと思ったが、いくらモーリスに伝えても埒が明かないので、直接本人に訴えるしかない。
馬車に乗って舞踏会に行くだけで既に憂鬱なのに、更に面倒臭い用件まで増えてしまった。
アニエスはため息をつくと、自身のドレスに視線を落とす。
淡い黄色のドレスはシンプルな形だが、黄色の生地の上に薄手の生地を重ね、そこに銀糸で細やかな花の刺繍が施されている。
動く度に銀糸と縫い込まれたビーズが煌めいて美しい。
何とも上品な華やかさだ。
髪にも銀糸の入った細いリボンを編み込み、ゆるく巻いた髪は自然におろしている。
ちらりと覗く耳には黄水晶の耳飾りが揺れ、同様に黄水晶の髪飾りが桃花色の髪を彩っている。
「可愛いのですが……落ち着きませんね」
何せフィリップと婚約してから今までの六年間、ずっと髪を隠して地味で目立たない装いに注力してきたのだ。
真逆の格好に、戸惑いを隠せない。
仕立て屋は採寸をするとすぐに帰ったし、ドレスについての相談はなかった。
それでもこうしてしっかりとドレスが届けられたということは、アニエス以外の意向でドレスが決められたということだ。
さすがにフィリップ推奨の地味色にする気はなかったが、もう少し落ち着いた、煌めいていないデザインと色にしたかった。
「……それを見越して、私の意見は聞かなかったのでしょうか」
ということは、やはりそちらの方向で相当な信頼があるようだし、どうあってもアニエスに華やかな恰好をさせたいらしい。
馬車に揺られて移動しながら、アニエスは大きなため息をついた。
「――は?」
王宮に到着して馬車の扉が開いた瞬間、思わず声を上げた。
ここは王宮の入り口で、アニエスは馬車から降りるところである。
なのに何故、こんなところにクロードが立っているのだ。
「こんばんは、アニエス嬢」
鈍色の瞳を輝かせた美貌の第四王子が、笑顔でアニエスに声をかけてきた。
「は、はあ。……殿下は、何故ここにいらっしゃるのですか?」
何か、特別な用事があるか、あるいはちょうど散歩でもしていたのだろうか。
「君を迎えに来たんだよ。エスコートする約束だろう?」
「は、はあ」
確かにそういうことになった気もするが、まさか第四王子自らが馬車を待って出迎えるなどと誰が予想するだろう。
緊張と混乱がごちゃ混ぜになり、クロードの肩に黄色のキノコが多数現れた。
細長い棒状の物が沢山、天に向かって伸びている。
確かキソウメンターケという名前だったはずだ。
突然、肩から黄色の棒状のキノコが群生するのだから、悲鳴を上げてもおかしくない。
だが、キノコの変態の瞳は陰るどころか、一層輝いた。
「へえ。触らなくても生えるんだな」
楽しそうに微笑む姿は見目麗しく、とてもキノコに微笑んでいるとは思えない。
「あ、はい。触ると高確率で生えますが、触らなくても生える時は生えます」
特に気にする様子もなくキノコをむしったクロードは、黄色いキノコの塊を控えていた使用人の持つトレイの上に乗せた。
何故トレイを持った使用人がいるのかとは思うが、触らぬ王族にキノコなし。
きっと、聞かない方がアニエスの精神衛生上良いだろう。
「そのドレス、良く似合っている。このキノコもドレスと同じ色だ」
キノコのついでにアニエス……というかドレスを褒めると、クロードが手を差し伸べる。
にこにこと御機嫌なのは、群生するキソウメンターケを手に入れたからだろうか。
正気を取り戻してキノコとアニエスを開放することを望んでいたが、どうやら絶望的のようだ。
それにしても、いくらキノコ目当てのエスコートとはえ、こうも露骨にキノコ愛が見えているのはどうなのだろう。
一応王子様なのだから、公の場ではキノコ愛をオブラートに包んでほしいのだが、大丈夫だろうか。
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【今日のキノコ】
キソウメンタケ(黄素麺茸)
フライドポテトがニョキニョキという感じの、黄色い棒状のキノコ。
素麺の名を冠するだけあって食べられるが、食べ応えがないらしく食用としての価値は低い。
そして、食べるのには勇気が必要らしい。
自分は勇気の証なのだと、ちょっと誇らし気にニョキニョキしている。