「不本意な力により強制参加です。今すぐ帰りたいです。というか、話しかけないでください」
 基本的に男性に対してキノコが生えるとはいえ、嫌悪感がつのれば女性にだって生える。
 フィリップをキノコまみれにするのはちょっと楽しそうだが、この少女をキノコまみれにしても面倒くさそうだ。

「俺に捨てられた上に、その生意気な態度では、良縁なんて望めないだろう。多少美人だからって、いい気になるな。大体なんだその髪は。目立つからまとめろと言っていただろう。化粧だって」
「もう婚約者でもないあなたに、文句を言われる筋合いはありません」
「婚約者ではないが、俺の言う事は守るべきだろう」
「はあ?」

 真剣な様子で話すフィリップを見て、思わず目が点になる。
 駄目だ、全然話が通じない。
 へなちょこ浮気野郎だとは思っていたが、勘違い野郎でもあったのか。
 これは、婚約が解消されて良かったのかもしれない。

「そんなフィリップ様、アニエス様が可愛そうです。髪色が厭われていることを、きっとご存知ないのです。フィリップ様が世間の目から守ってくださったと、わかっていないのです」
「お前は優しいな、サビーナ」

 それは優しさではなく、嫌味だ。
 目の前で猿芝居が繰り広げられている。
 飴色の髪の少女の名前は初めて知ったが、サビーナ・バルテ侯爵令嬢か。

 フィリップは今は王族の端くれだが、結婚すれば王族を外されて伯爵となる予定だ。
 バルテ侯爵家は一年ほど前に跡継ぎが亡くなったから、恐らくサビーナが婿を取る。
 なるほど、伯爵となってアニエスを伴侶にするよりも、侯爵家に入る方が利点がある。
 運命の相手で番とやらな上に、うまみまであるわけか。


「待て、アニエス」
 馬鹿らしいのでそのまま立ち去ろうとすると、フィリップに止められた。
「何か用ですか?」

「おまえは何をしに来たんだ。復縁なら絶対にしないぞ」
「それは僥倖です。こちらも復縁など願い下げですから。私も来たくて来たのではありません。……そうだ。フィリップ様、そこらの女官に私を着替えさせてさっさと家に帰すよう、命じてもらえませんか?」

 王族の命で帰宅したのなら、お咎めもないはずだ。
 我ながら名案である。
 この際、へなちょこ勘違い浮気野郎でも何でも、使えるものは使おう。

「は?」
 フィリップは言われたことが理解できないらしく、表情を曇らせる。
「正直、一刻を争う勢いで帰りたいのですが、着替えをした部屋がわからなくて困っていました。ここはひとつ、王族の端くれの権力で、ドーンと私を会場から追い出してください!」

 公衆の面前で婚約破棄を叫ぶような人間だと知られているフィリップならば、アニエスを追い出すのに適任だ。
 それに、アニエスが勝手に帰ったとなると問題かもしれないが、端くれとはいえ王族に指示されたのなら言い訳も立つ。

「端くれとは何だ、無礼な。大体、着替えをした部屋とはどういうことだ」
「不本意な力で王宮に連れてこられました。このドレスだって、私の物ではありません」
「おまえを王宮に連れてきて、ドレスを用意した?」
 フィリップの眉間の皺がどんどんと深くなっていくのを見て、サビーナも眉を顰め始めた。

「ともかく、ヒステリックに叫んでください。こいつをさっさと家に帰せって。大丈夫です、いつも通りにすればいいだけですから。さあ!」
 アニエスの勢いにたじろぐフィリップが一歩後退ると、代わりにサビーナが前に出て来た。

「フィリップ様に近付かないでください。不敬です」
 サビーナは鋭い眼差しでそう言うと、アニエスの腕を引っ張る。
 突然の力にバランスを崩してよろめくと、どこからか伸びて来た手がその肩を支えた。


「――何をしている」
 わずかに怒気をはらんだ声に見てみると、クロードがサビーナの腕を払いのけるところだった。

「クロード殿下、アニエス様がフィリップ様に失礼な態度を取ったのです。私も、怖くて……」
 先程の視線が嘘のように甘い声で訴えるサビーナに、思わず感心してしまう。
 クロードを見つめるサビーナは微かに頬を染めているが、運命の相手であるフィリップはどうしたのだろうか。

「だとしても、アニエス嬢の腕を掴んで引っ張る理由にはならないな。……大丈夫か」
 心配そうに覗きこむクロードに、思わずため息つく。
「ありがとうございます、大丈夫です。でも、せっかくフィリップ様に追い出されるところだったのですが」

「は?」
「ちょうどいいです、殿下。殿下のお力で、私をこのホールから追い出してください」
 クロードだけでなく、フィリップとサビーナも怪訝そうな顔だ。

「どういうことだ?」
「帰りたいです。もう、もの凄く帰りたいんです。キノコの限界です」
「アニエス様、クロード殿下に失礼です。大体、何ですかキノコって」

 サビーナがそう言って再びアニエスの腕を掴もうとしたが、今度は自身で振り払う。
 今の状態では女性だからと安心なんてできない。
 それどころか、猿芝居の代金としてキノコを支払いかねない。
 この事態をどうにかできるのは、この中で一番身分の高いクロードだ。


「是非とも、警備兵にでも引き渡してください。僭越ながら、全力で引っ立てられる所存です。あ、でも自分でついて行くので、触らないでほしいです」
「何を言っているの、この人……」

 明らかにサビーナが引いている。
 ついでにフィリップも引いているようだが、おまえは事情を知っているだろうと言いたい。
 クロードは三人を見回すと、小さく息をついた。

「……少し、話したい。こちらに来てくれ」
「嫌だと言ったら、行かなくてもいいですか」
 キノコ的限界を迎えつつあるせいで、焦りと苛立ちから棘のある言い方になってしまう。
 だが、クロードはそれを気にする様子もない。

「約束しただろう?」
 寧ろ、アニエスを落ち着かせるように、穏やかに語りかけてくる。
 約束というのは、嘘をつかない、裏切らないという話か。 

「だから、俺を信じて。話を聞いてくれ」
 鈍色の瞳に見つめられ、ほんの少しだけ焦りと苛立ちが収まった気がした。

「……わかりました」




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「今日のキノコ」はお休み。
ノー・キノコデーです。

何だか寂しいですが、明日にはキノコが入荷すると思いますのでお待ちください。