わたしたちの好きなひと

 まさか、止まると思わなかった恭太が立ち止まった。
 膝でぽんぽんとナップサックをはずませながら、ゆっくりともどってくる。
「もう……、(こん)くんなんて、呼ぶなよ」
「…………」
 そのひと言が、どれほどわたしの胸を突き刺したか……。
 気づかないまま、わたしに背を向けて歩いていく恭太と。
 わたしのうえに。
 やっぱり雨は降ってきた。


 恭太について走りこんだのは、公園のなかの資料館。
 雨の雫をはらいながら入った展示室の正面のパネルには、
【もし海面が百メートル上がると、この谷中分水界で本州はふたつの島に分かれます】
 またまた、さっぱり、わからない。
 もう降参。
「ねぇ……」
 意識すると言えなくて。
 恭太って。
 いつも、いつも、心のなかでは呼んでいたのにね。
「えへん!」
 わざとらしくセキばらいして、恭太が笑う。
「さっき通ってきたろ? あの土手な。あそこで雨は、太平洋と日本海に分かれていくんだぜ。分水嶺って知ってるか?」
 知らないや。
「蔵王とか、谷川岳とかさ。ふつうは山の上にあるんだけど。あれがな、地べたにあるんだ。ふつうにこの目で見られるんだぜ? 超スペクタクル!」
 正直言って。
 うーん……? て、かんじ。
 だけど。
「すっごいや」
 恭太がそんなに夢中になるんだもんね。
「そんじゃ、行くぞ」