昴がいなくなった後の空気が重い。

沈黙を破ったのは父だった。


「芦屋くん、だね?ちょっと話そうか」


父は帽子とマスクで顔のほとんどを覆っている芦屋さんを確認してから、リビングに通した。


「菜那は着替えて横になっていなさい。ご飯の支度出来たら呼ぶから」


食欲なんてない。

私も一緒に話を聞きたかった。

でも、父の有無を言わさぬ堅い口調に状況を察し、部屋に行き、着替えの前に鏡を覗き込んだ。

目は腫れ、鼻は赤く、頬には涙の伝った痕がある。

お世辞にも綺麗とは言えない顔を洗面所で洗おうと階下に降りた。

その時、リビングの会話を、耳を澄ませて聞こうとしてみたけれど、声は小さく、正確に聞き取ることは困難だった。

もっとも、おおよその話の内容は想像できる。

父は芦屋さんに私と別れてくれるようお願いしているに違いない。

私だって今日、正式に芦屋さんに別れを告げるつもりだったんだから。

病状がどうなっていくか分からない私と付き合っても、芦屋さんに負担を掛けるだけだし、未来はない。

ただ、直接話したかった。

芦屋さんのことが本当に好きだったこと、出会えて嬉しかったこと、初めて感じる幸せを教えてくれたこと、結果的に傷つけてしまったこと。

お礼と謝罪の言葉を、顔を見て言いたかった。

バタン

玄関の扉が閉まる音を聞いて、二階の窓から玄関先を見下ろす。


「ごめんなさい。ありがとう。さようなら」


振り返ることもせずに足早に帰って行った芦屋さんの背中に小さく呟いた。