家に着いたのはいつもより30分遅い時間だった。

 制服のままリビングに入ると、いい匂いが鼻をくすぐった。すくむ足をなんとか動かして、広いリビングの中を音もたてずに進む。

 無表情で夕飯の支度をしているお母さんは、私が部屋に入ったのに気づいたのか気づいてないのかさえわからない。今日はお父さんがいなくてよかったと心底思う。

 ジュージューと、フライパンの上で何かが焼ける音。漂う匂いに空腹を感じるけれど、緊張で今はそれどころじゃない。

 ……言わなきゃいけない。


「……お母さん」


 それは、本当に小さな声だったと思う。震えたそれに、なんて自分は弱い人間なんだろうと情けなくなってくる。聞こえたのかどうかわからなかったけれど、お母さんはゆっくり私に顔を向けた。

 面と向かってしゃべるのは、いつ以来なんだろう。

 夕食と朝食以外の時間、私はこのリビングという空間にいたことがない。だから、お母さんが料理をする姿を見るのだって、本当に久々のことで。

 お父さんが帰ってこないうちの家庭で、お母さんが毎日きちんと料理をしてくれているのが私のためだってこと、わかっていたけれど。目の前にすると、やっぱり胸が痛くなる。


「……どうしたの?」


 凍りついたような空気があたりを漂う。冷や汗が止まらない。ぎゅっと、服のすそをつかむ。高城領の言葉を思い出す。

───嘘ばかりついてるって言っていた。思ったことをもっと吐き出せばいいと、そう言ってくれた。


「……わたし、明日から部活やることになったから……帰りが少し、遅くなる」