結局その日は、何処の土地にするか意見がまとまらず、日を改め会議をする事になった。

「しかしルナティア様には、何時も驚かされる」
夕食も終わり私室に戻ると、イサークが疲れたようにソファーに座った。
そんな夫の姿に小さく笑みを浮かべるクロエは、当然のように彼の隣に腰を下ろす。
「違うだろ?二人きりの時にはここがクロエの場所だ」
そう言って、当たり前の様に膝の上に抱き上げた。
今だ慣れる事無くあたふたするクロエだが、納まりの良い位置を見つけその胸に身体を預けるその様が、愛おしい。
そんな華奢な妻の身体を抱きしめながら、イサークは会議室でのクロエを思い起こした。

誰よりもルナティアやルドルフの事を理解しているのは、クロエだと思っている。それは間違いはない。
だが、奇想天外な案に対しての柔軟性。あれにはさすがのイサークも舌を巻いた。
これから落としにかかる国の、その先の事を決めてから動く。初めての経験でもあり、とても新鮮に思えた。
イサークどころか、父であるエドリードですら戦経験はない。
祖父が幼少の頃には、まだ混沌としていた時代のようだったが、王位を継いだ頃には周辺国も落ち着き、むやみやたらと戦を仕掛ける事は無くなったのだという。
戦よりも交易として友好国を増やしていく事の方が、何よりも利益を多くもたらすのだと、やっと気付いたからだ。

戦争が多発していた頃ですら、落とした国の行く末などあまりよく考えていなかった。
単に、その国の利益を欲しての略奪だ。余程の慈悲深い賢王でなければ、蹂躙された国民の事などどうでも良かったのだ。
今もそうだ。戦は無くなったが、自国に害さえなければ他国がどうなろうと関係が無い。
だが、ルナティア達はそう言う考えを根本から変えてしまった。
当然だ。自国どころか世界が惨事に巻き込まれるのだから。
だが、ここまでやるのかと、次元の違いをも思い知らされた。
それはクロエに対してもそうだった。
流石はルナティアに帝王学を仕込まれただけあり、物事を正面からだけではなく、縦からも横からも、時には斜めからも見れる視野の広さには感服する。
皇后の仕事をこなすなか、各領地や国民からの要望の声も上がってくる。
全てに答える事は不可能でどうしても緊急性のある案件を優先してしまうが、ほんの少し手を加えるだけで解決するような事だと気付けば彼女は手を差し伸べ、提案を持ちかけるのだ。
しかも、彼女が提案し手がけた事案は目新しいもので、ほぼ実用的なものばかり。中には国民の生活向上の助けとなるものも多い。
というのも、元々平民として他国で生きようと、色んな国の常識や内情などを調べていたクロエ。よって、各国の行なっている制度などに誰よりも詳しかったのだ。
それをこの帝国でも使えるのか、この陳情にはこれを適応すればいいのでは・・・など、兎に角引き出しが多い。
自分から逃げるために培った知識なのだと思えば腹も立つが、こうして無事に夫婦となり国の為のそれを振るってくれるのだから、多少複雑な感情はあるものの感謝の一言に尽きる。

本格的に皇后としての仕事を始めて、まだ間もない。なのに、大人 (だいじん)の風格すら感じさせる。
そしてなにより、可愛らしくて美しい。
イサークは日毎(ひごと)クロエに惹かれていくのがわかり、底が無いな・・・と、自分がこんな風になるとは思いもしなかった。
だが、結婚したからと言って、油断しているわけではない。他国から常にクロエは色んな意味で、狙われているのだから。
噂ではルナティアに対しても、縁談が殺到しているという。
年齢より遙かに若く美しく、そして、誰もが傾倒するほどの才媛。
元王妃だろうと何だろうと、身軽になったのなら今が好機なのだ。
縁談は全てルドルフが握りつぶしていると聞いている。
そのルドルフからイサーク宛の手紙も届いていた。
今は共通の敵が目の前にあるから共闘しているが、油断はするなと。
いくら手の中に捕まえたとしても、奪われる時は簡単に奪われてしまうのだ、とも。
特に今はリージェ国のガルドが要注意人物だ。
かなり昔から婚姻の申込をしていたというのだから、笑えない。
フルール国に公式に招かれた事も訪れた事も無いはずなのに、クロエを知っている。
ルナティアでさえ知らなかった事実に不安で、彼女の警備を強化させた事は言うまでも無い。
そしてイサークもクロエを迎え入れる前に、城内の掃除を徹底したのだ。
だが、今でも安心はできない。
そう考え、ふとガルドの不快極まりないあの目を思い出した。

イサークはガルドとアドラには、一度しか会った事はなかった。
魔薬の件で、正式に謝罪に彼等が訪れた時にだ。
正式ではあるが、帝国側はしぶしぶ来訪を許可しての正式だ。
本来であれば、いくら謝罪とはいえ帝国を侵略しようとした敵である。一歩たりとも国には近づけたくなかった。
どれだけ拒絶しようとあまりにしつこく、このままでは密入国するくらいの勢いだった為、致し方なく許可したのだ。
だが、今考えれば断固拒絶し、法を犯し侵入してきた事を理由に、リージェ国を叩けば良かったのではと、今更ながら後悔しても遅いのだが。
犯罪国家の王子と王女だ。何を仕出かすのかも分からない。それは緊張に満ちた二日間だった。
目の前に現れたガルドとアドラは、見目は確かに美しい兄妹だった。
兄ガルドは金髪碧眼の、第一印象は優しそうな容姿に柔らかな物腰。犯罪国家の王子とは思えない、想像とは真逆の容姿をしていた。
妹のアドラはといえば、赤みの強い、見方によっては赤毛にも見える金髪に兄と同じ碧眼、大輪の薔薇を思わせるような華やかさをもっていた。
まるで正反対の容姿を持つ兄妹。何も知らない者であれば、その第一印象に大いに騙される事だろう。
だが帝国側はその正体を知っていた為、警戒以外何も感じる事は無かった。
そしてガルドの時折見せる、眼差し。
それはまるで獲物をいたぶり喜ぶかの様な、獰猛さを秘めていた。
後に聞けば、その場に立ち会った者達は皆、その粘着質な眼差しに危機感を募らせてたのだという。
彼等二人がふとした時に見せる表情は、まるで鎌首を擡げ獲物を狙う蛇を思わせるかのようで、見た目とのギャップの激しさに息苦しささえも感じるほどだった。
ましてや強引な訪問に当然、帝国側の対応も辛辣なものだったが、彼等は意に返すこともなく図太くも愁傷な振りをし、アドラを押しつけてきた。
まったくもって、厚顔無恥とはこのことを言うのだなと、誰もが思った。

その後も、婚姻を断られたのにも関わらず、何かにつけアドラが帝国に来ようとしている。理由は言わずもがな、イサークに惚れてしまったからだ。
その翌年からはロゼリンテまで帝国に通い始めるという、エドリードやイサークの頭を悩ませる事態が続いた。
イサークがクロエと結婚してからは、ロゼリンテは当然の事だが、アドラまで大人しくなった。
アドラが大人しいのは、正直、不安でしかない。ましてやガルドはクロエを狙っている。
厳しい警護の目を掻い潜り、リージェ国の手の者がクロエを拉致したら・・・
思わずイサークは腕の中のクロエをギュッと抱きしめた。
「イサーク様?」
不思議そうに見上げてくる妻は何処までも可愛らしくて、愛おしい。
その額に頬に瞼にと、口付けていく。
「クロエ、愛している」
突然の告白に目を丸くするその表情も、愛おしい。
そして、それは嬉しそうにふわっと微笑み「私も、愛していますわ」と言い、その頬を両手で包み込んだ。
「もう、決して離れません」
先日までの不安そうな眼差しではなく、イサークの不安を見透かしたかのような何処までも透明なサファイアブルーは、力強く輝いている。
「私は私のできる事を最大限に生かして、国を、イサーク様を守りますわ」
その男前な宣言に虚を突かれた様に、今度はイサークが目を丸くした。そして、クロエに負けず劣らず嬉しそうに笑った。
「なんて勇ましい妻なんだ。ならば、何時でも何処でも常に一緒にいれば互いに守り合えるな。まずは、そうだな・・・」
そう言って、クロエを抱き上げた。
向かうは当然、寝室で・・・・

「互いに英気を養おうではないか」
いや、それはちょっと違うのでは・・・と、言いかけたクロエの唇をすぐさま塞ぎ、柔らかなベッドへと二人沈んだのだった。