その部屋は誰も近寄らない、というよりも誰も知らない城の奥の奥に存在していた。
室内もさほど広い訳ではなく質素な調度品がわずかに置かれている程度で、皇帝の執務室とは真逆な内装となっていた。
イサークの執務室もさほど華美ではなくどちらかと言えば実務的ではあるが、威厳を示すために家具や調度品はそれなりに贅を凝らしている。
それに対しこの部屋は、家具そのものが少なく、正直寒々しい印象しか受けない。
だが、部屋の中央に置かれている質素ではあるが手の込んだ彫刻の縁が素晴らしい長いテーブルの重厚さが、がらんとした室内では異様に目立っていた。
ここは、ごくごく少人数での会議をする為の、皇族とその関係者以外入る事が許されない秘密の部屋。
そしてまた、本当に信頼できるもの以外、この部屋の存在は知らされていない。
例えば戦争や内乱が起きた場合、実際近々(きんきん)に使われたのは数年前のリージェ国魔薬掃討作戦の時。この様に有事に対処するための、秘密の会議室なのだ。
異様に存在感を醸し出しているテーブルを取り囲むのは、皇帝夫妻を合わせ十二人ほどの主要人物。皆一様にさえない表情をしていた。
集まっているメンバーはイサークの側近だけではなくエドリードの側近もおり、クロエの後ろのはダリアンとリンナ、エレナが控えていた。
クロエは早速、祖母であるルナティアからの手紙の内容を報告。皆に匂い袋を手渡した。

「シェルーラ国の情報網がこれほどまでとは・・・」
エドリードの側近中の側近、元宰相のグラスが硬質な声で呟く。
「シェルーラ国はリージェ国に対する警戒、諜報活動は他国より抜きん出ていますから」
此処に居る者はクロエ達三人の境遇を知っている。
正直な所、エドリードからそれを聞いたところですぐさま信じる事など出来なかったが、ルナティアからの警告がことごとく当たれば信じざるを得なくなる。
それを武器に、数多の国の主要人物を魅了していき、彼女の一声で動く国がどのくらいあるのか。恐らくこの世界での最強は、ルナティアなのかもしれない。
その事実は、疑う事自体がおかしなことだと思ってしまうほどに皆が崇拝しているのだ。
「私達三人で本来起きるであろう事を変えてきました。ですから、歪みの様に形を変えて何かが起きるのかもしれません」
「そうですね・・・・ガルド王子が国王になる来月以降、何かが起きるのかもしれません」
前皇帝近衛隊長ダレンも静かに頷く。
「我々の掴んだ情報はリージェ国の隣国、サハド国が何やら妙な動きをしているらしいという事」
今だエドリードの影として活動しているベレニス。彼はユミルの師匠でもある。
「サハド・・・ですか。魔薬関係でしょうか・・・」
確かサハド国はシェルーラ国と友好条約を結んでいるはず・・・・
「サハド国王はルナティア様を実の姉の様に慕っておられます。しかも、何度か窮地も救ってもらってますし。・・・・ルナティア様なら何か聞いているかもしれないと思い、鷹を飛ばしております」
ユミルが言う鷹とは特別に調教した鷹の事を言い、伝書として使っているのだ。
この広い大陸を馬などで走っても何日かかるか分かったものではないので、王家では急な伝達は主に鳥を使っているのだ。
そしてそれを提案し実現させたのがルナティアだというのだから、驚きである。
「では、祖母の連絡待ちという事ですね。サハド国に関してはシェルーラ国からの連絡が来てから対処するという事で。よろしいでしょうか?陛下」
「あぁ。まずはこの薬草をつくる為の人を厳選し集めよう」
「リージェ国の動きにも今以上に目を光らせないといけませんね」
「内密に王位を継承しようとしていたのか・・・ジャスパー、アドラの動向は?」
「それが、今は大人しいもので国から一歩も出ていません」
ふむ・・・と、考え込む様に顎を撫でていたが、一つ息を吐いた。
「取り敢えず今はできる事をやろう。この匂い袋を城内に居る全ての者に配る。恐らく足りないだろうから薬師の件は最優先事項だ」
「承知しました」と、皆が一斉に頭を垂れ、其々が何をするかを話始めた。
それを見てクロエは大きな安堵の溜息を吐いた。
何時の間にか強く握られていた手からようやく力を抜き、どれだけ緊張していたのかと腕を擦った。
そんなクロエをイサークが優しく抱きしめた。
「大丈夫だ。必ずうまくいく。全て、上手くいくから、心配するな」
その胸に顔を埋めれば彼の匂いが全身を満たし、安堵と共に心強さも感じほっと肩の力を抜いた。
「あちらの出方も気になるが、我々の式もそれほど時間がない。クロエはそちらをメインに動いてくれればいい」
「わかりました。・・・・この城にも間者がいるかもしれません。匂い袋の効能は内緒にしていただけますか?」
「勿論そのつもりだ。クロエを城に招く前に掃除はしたのだが・・・油断は出来ない。愛しい妻の祖母殿からの城の者への祝福だと伝えよう。あの方は他国では幸福の女神の様に讃えられているからね」
「まぁ、そうなんですか?知りませんでした」
「そう言うクロエだって『氷の美姫』や『賢姫』と呼ばれているのに」
「わたしが『美姫』ですか・・・勿体ない。ですが陛下とお揃いの『氷』が付く所は嬉しいですわね」
そんな事を言われるとは思わなかったイサークは、目を瞠りそして力が抜けた様に柔らかく微笑んだ。
「今までは鬱陶しいとしか思わなかった二つ名だが、妻とお揃いと言われると特別に感じてしまう。不思議なものだな」
決して高い声で話していたわけではないが二人の会話は室内のいた皆に聞こえ、彼等は不意に肩の力が抜けていくのを内心驚く。
起こるかもわからない未確定な未来に戦々恐々とし、無駄に想像力だけが先走り緊張感から身体が強張っていたのを改めて感じたのだ。
だが、二人のとりとめのない会話は何ら変わらない日常を思い起こさせ、ほっと息を吐かせてくれる。
先ほどの強張った顔から一変、いつもの調子を取り戻した彼等は先ほどの様にテーブルを囲み互いの意見を交わし合ったのだった。