2022年 4月 


 短大三年生。勉強は相変わらず大変で、実習では男の人を起こしたりするのは女の身だと本当に骨が折れる。随分前に医療の学校は不正をしてでも女性を多く取らないというニュースがあったが、なんとなく理由はわかった。
 女性は結婚すれば職場を離れる可能性が高い、子どもができれば尚更だ。そういうこともあって業界はどうしても男手に飢えている。限られた枠に女性ばかりが来てしまえば不都合、迷惑千万なのだ。
 とはいえ日本は男女差別に厳しく、公にすれば男尊女卑と言われる。上手く隠したつもりでも、どこからか粗は出てしまう。それが何年か、何十年か当たり前と化した時に当たり前じゃないものとして露見する。
 理解はできるけど納得いかない。それは私が女だからだ。


「真面目に生きて、誰かを助けたいと医療の道へ進んでも、女というだけでハンデを背負ってるなんて……納得できるわけがない」


 授業の行われている講義室で私はぼそりと呟いた。死ぬために生きているなんて考えの私が言えた義理ではないけど、可能性の芽を摘まれるのは好きではない。
 変えられるなら変えてあげたいけど、運の力では人の気持ちを変えたりはできない。私にとっての不都合だから、条件を変えろなんてことは難しかったりする。本気で望めばできるかもしれないが……。
 ここへ入学できたのも恐らくは運が関係している。そういった不正に巻き込まれなかっただけありがたいと思っておこう。
 チャイムが鳴り響く。


「それじゃ今日はここまでー……」


 ちゃんと真面目にやろうと思っていた矢先、これだ。授業の内容があまり耳に入っていなかった。とりあえず今日はこれで全部の講義はおしまい。病院に行こう。
 あやかの件について、あれから何日かに分けて足で探した。見つけられるかどうかは私の運次第だったんだけどそこは流石、すぐに見つけられた。元は雨が運ばれた病院と同じだったみたいだけど、すぐに違うところへ搬送されたみたい。
 あれだけのことを犯したのだ、警戒も相当厳重なのだろうなとは思っていたんだけど……。


「警官どころか、そういう類のものすらないんだよね……病室も普通のところみたいだし」


 院内をそわそわと徘徊する私は明らかに不審者だ。
 あれから三ヶ月。何度もここを訪れているのに、未だあの女と顔を合わせていない。私を殺してくれる存在である以前に、雨を殺した人物でもある。
 会って、私が正気をなくしあの女を殺してしまうのが一番怖いのだ。


「雨……私に力を貸してね」


 色あせてきているラッコのキーホルダーの『ラッピー』を握り、私は深呼吸をする。あやかがいる病室は、すぐそこだ。


「…………今日こそ、行こう」


 私の生きる理由はそこにあるのだから。私は意を決し、白い廊下を歩いていく。誰にも止められたりはしない。それは運が私を止めないということだ。
 引き戸を右へと開ける。
 消毒液の匂いが明らかに強くなる。個室、そこにはカーテンを締められた一つのベッド。二度と見たくない顔だったけど、こんな感じで顔を合わせなくちゃいけないなんて皮肉だ。


「……」


 沈黙のまま、ベッドの傍らまで歩く。そして私はカーテンを握ると、胸の鼓動が激しくなっているのに気がついた。
 落ち着け、落ち着け。一目見て殺したりなんかするな。ここは病院、落ち着いて。


「ふぅ、ふぅ……はぁ……」


 目を閉じ、心を落ち着かせる。
 大丈夫。大丈夫だよ、もう大丈夫。そう言い聞かせていく。
 そして、掴んだカーテンを右へと開けた。


「っ……!」


 ドクンと心臓が血を吐き出し、同時に私が過去の記憶へと引っ張られていく。車から降りてきた、笑っていたあやかの顔が思い出させられる。
 蘇る。私が彼女の首を締め、殺そうとした指の感触を。


 すぐに首を振り、記憶を遠ざける。どんなに記憶に引っ張られようが雨の記憶は出てこない、こいつはそれほどまでに凶悪な記憶を私に植え付けたんだ。
 でも、そこで眠っている女はもう骨と皮という感じの、やせ細った……あの頃とはまったくの別人の姿だった。


「皮肉だね。そんなになっても生き続けるなんて……」


 ピクリと反応する女、ゆっくりと目を開ける彼女の前に私は顔を近づける。


「おはよう、あやか」
「っ……あか……さか……かなで」


 弱々しくそう呟くと、次の瞬間、目を見開いて暴れようとする。
 けれど、動けるわけがない。貴女の体はボロボロなんだから。


「フーッ! フーッ!」
「猫みたいに怒らないで。まぁ……命の危機を感じてるんだろうけど、私からどうこうしようってことはないの。実はお願いがあって……今日はここに起こしにきてあげたんだよ」
「な……に……?」


 私は近くにあった棚から果物ナイフを取り出す。恐らく、この女の為に誰かが果物でも切ってあげようと思ったのだろうか?
 ご苦労なことだ、通常の方法では一生目を覚まさなくてもおかしくなかっただろうに。通常ではない方法、私の運ならば別だけど。


 鞘から刃先を抜き取る。
 刃先は鋭く、喉へ押し込めば十分に人が殺せるだろう。刃先から視線を変えたその瞬間、あやかはこれ以上ないくらいに怯え始めた。


「雨のことは殺しておいて、自分がその立場になったら怖いんだ。ふーん」
「お前も……殺す、殺してやる……!」


 高校生の頃から精神が成長していない。だから、こんなことしか言わない。哀れな私のお人形。でも、殺してくれるというのなら話は早い。
 私は刃先を翻し、取っ手を彼女の手に握らせる。


「じゃあ、それで私を殺して。ここ、首筋に突き立ててくれる?」
「なに……を……?」
「一つ前に自分で言ったこともわかんないかなぁ……」


 あまりの理解力のなさに腹立たしくなってくる。殺すって言ってたじゃん、こいつは。
 ベッドの上から見下すようにして、歯ぎしりをした。


「殺したいんでしょ? だったら殺せって言ってるのよ! 雨を殺したその手で、私も殺せって!」


 感情が溢れる、戻ってくる。怒りの感情はこの女が持っていってたんだ。苛立ちのままそう悟った。
 こいつの運なら、私を殺せるかもしれない。今日、ここで殺してもらわなければ明日にはもう無理かもしれない。迷っている間にもあれから三ヶ月が経っているんだ。それほど私の運は日に日に強く、強くなっている。
 だから、もうここで、私を殺して。早く雨に会わせて。


「早く……早く、早く早く早く早く早く早く! 私を、私を殺せええええ!」


 信じられないくらいの私の声が部屋中に響き渡る、絶叫といってもいいくらいの声量。
 その声に押されるようあやかは恐怖と叫びの中、その果物ナイフを私の首に突き立ててくれた。