真っ暗で何も見えない。
 一体、ここはどこ? あたしの身に、何が起きた?
 頭に残っている記憶の断片を探す。
 確か最後に見たのは黒い髪の女を追いかけて、世界が一回転したような光景。自分の体の中から熱が消えていくようなそんな感覚を味わった後、意識が暗く落ちていった。
 そう、あいつのせいであたしは車に跳ねられたのだ。たかがあたしを楽しませるだけのおもちゃの癖に、おもちゃの癖……に!


「赤坂……奏……」


 あたしの中で熱が蘇っていく。
 あぁ、そっか……そうか。あたしはまだ死んでない、この体の熱が生きている証拠だって叫んでいる。そう、あいつを酷い目に合わせないと気がすまないとこの血が、心臓が、叫んでいるのだ。


「く……ふふ、ふふふ……」


 まさか、あたしをあんな目に合わせるなんて、おもちゃにしては良くできてる。でも、おもちゃはおもちゃ。今度こそ、あたしの手でちゃんと壊してあげないといけない。
 ゆっくりと目を開けると、そこは白い病室だった。体のあちこちに管が通されているけど、体の欠損は見当たらない。


「変ね。車に轢かれて大怪我を負ったと思っていたのに、集中治療室じゃない。回復の見込みがないと判断されたか……」


 まぁ、それならちょうどいい。
 どう判断されてようがあたしはこうして目を覚ました。抜け出すなら個室は好都合、あたしは病院服を脱ぎ捨て、体に取り付いている管を外す。
 腕はすぐに外せたが、股下についているカテーテルを引き抜くのはとても痛みを伴う。ある程度、慎重に引き抜く。


「はぁ、はぁ……くっ……あいつのせいでこんな……」


 引き抜かれたカテーテルを苛立ちのまま投げ捨てると、次は下着と服を探した。近くにあった棚の引き出しを開けると、それはすぐに見つかる。
 様々な服があったけど、手に取ったのはあえてセーラー服だ。


「あいつにもあたしが戻ってきたってわかりやすいからね。くくく……」


 制服へと着替えるとポケットの中からヘアゴムを二つ取り出し、窓のガラスに映る自分の姿を見ながら髪を束ねていく。
 我ながら酷い姿。体力も筋肉も落ちてるし、でもまぁ動ければいい。
 ツインテール、これで準備はできあがった。
 夕暮れの悪雲の立ち込める空を見る。


「……雨が降りそうね。……雨?」


 そのフレーズにあたしはある女の名前を思い出す。
 宮城 雨、あいつにこそ、あたしは何もやれてなかった。


「決めた……宮城 雨。あんたには死より辛いことを味わってもらう。くくく……」


 口角をあげ、あたしはこの病室を後にする。
 そう、壊すだけじゃ飽き足らない。あんたを地獄へと突き落としてやる。すました顔を絶望に染めてやる。


 §


「奏ちゃん、ご苦労さま!」
「あ、お疲れ様です!」


 元気よく挨拶すると私はエプロンを外し、夏美さんへと手渡した。
 実は、残念なことに腕時計を買うお金が若干足りなかったのだ。
 夏美さんはもっと割引するとも言ってくれたけど、そんな迷惑をかけられなくて私は首を横へと振ったのだ。でも、それじゃ買えなくなるのはわかっていた。
 そこで提案したのが。


『あ、あの……夏美さん! 一時間だけ……ここで働かせてもらえませんか?』
『え? ええ、いいけれど……大丈夫? これから天気が崩れるわ』
『大丈夫だと思います! それに私、雨の為に、自分でも少しくらいお金を出したくて……』
『ふふ……それなら断る理由はないわね。それじゃ一時間だけお願いしようかな?』
『あ……ありがとうございます!』


 そうして決まった仮のお仕事、こつこつとやっていく陳列作業は私に合っていた。お客さんに話しかけられた時はドキドキしたけれど、接客業も楽しいかもしれない。


「奏ちゃん、お外、すごく降ってるけど大丈夫?」
「一人で帰るなら危ないところだったかもです……少し遅くなるって雨に連絡したら、迎えに来てくれるみたいで」
「そうなの、ふふ……仲良しで羨ましいわねー」


 やっぱり夏美さんから見ても、私たちは仲良く見えるんだ。それに私は嬉しくなり、笑顔になってしまう。


「あ、そうだわ! 奏ちゃん、よかったら腕時計のラッピングしてみない?」
「え……わ、私にできるかなぁ?」
「ちゃんと教えてあげるわ。きっと、雨ちゃんも奏ちゃんに包んでもらった方が喜ぶんじゃないかな?」
「そ、それじゃやってみようかな……」


 上手く乗せられ、私は満更でもなく頬を掻くと二階へと移動した。
 最初の内はすごく難しかったけど夏美さんの教え方が上手なのか、三度目になる頃はかなり綺麗になっていた。


「それじゃ、本番行ってみましょう!」
「はい!」


 小さな箱の中に赤いベルトが印象的な可愛らしい腕時計を固定させて、上箱を閉じる。
 そして赤いリボンで結び目をつけていくのだけど、しっかり結ぼうとすると箱が潰れかねない。かと言って優しく結ぶと、今度はリボンがよれてしまう。


 夏美さんは「相手を思いながら結ぶと、上手くいく」と言ってくれたけど、実際はよくわからない。でも、その通り雨の笑顔を思い浮かべ……実際にはちゃんと雨の笑顔を見たことはないんだけど、とりあえずそう結んでみると自然と上手くいった。今までで一番上手だと感じる出来だ。


「うん、上出来ね」
「よ、よかったぁ……ここ一番に弱いから……」


 額に滲んでしまった汗を腕で拭うようにして言うと、一階の方からチリンチリンというお客さんが入ってきたであろう音が聞こえてきた。


「あら、もしかしたら雨ちゃんかも? 行ってくるわねー」
「あ、は、はい!」


 どうしてかすごく緊張している私。自分の鼓動が段々と早くなっていくのがわかる。
 た、たかだかプレゼントを渡すだけなのに、なんでいつもこんな時になると緊張するかな? もう、静まれ……静まれ!
 だけど、そう思ったところで静まらないのが人の悪いところ。そうこうしている内に、階段の方から、赤い眼をした女の子が上がってくるのが見えた。


「あ、雨!」
「奏、お待たせ」


 あれ、夏美さんの姿が見えない。
 え、まさか……ここでプレゼントを渡すっていうの? いやいやいや、私もなぜかそんな雰囲気になってたけど誕生日プレゼントはもっと後から、ケーキ食べた後とかじゃない⁉
 そんなあたふたしている私を、雨は気づいたのか気づかないのか普通に接してくれる。


「それじゃ、奏。帰りましょうか」
「あ……」


 ……ダメだ、今渡そう。早く雨に付けて貰いたがってる私がいる。その時、雨の視線がガラスケースへと移動した。


「……この前の時計、買われてしまったのね」
「あ、あ……うん……そうみたい」


 な、何言ってるの! 私が買ったんだよ! 雨のプレゼントの為に!
 もうダメだ。これ以上、話を長引かせたら絶対、雨は悲しそうにする。もう渡せ! 渡しちゃえ!


「あ、雨、あの……ね⁉」
「ん?」


 視線を上に向け、雨の視線が私の視線と交わる。クリスマスの時もだった、なんでかこの時だけは息が上がってしまう。
 緊張とプレゼントを渡す時の嬉しさで、私の顔は今どうなってるんだろう? 笑ってるのかな? 雨みたいに無表情な感じで固まってるのかな?
 でも、きっと自然な感じじゃないのは確かだと思う。だから、自然を意識して……渡すの。
 よし、言おう。


「雨……これ、私からのプレゼント。誕生日のプレゼントだよ」


 背中に隠した両手を前へと移動させ、ガラスケースを挟んだ向こう側にいる雨へ小さなプレゼントを渡す。
 雨は一瞬だけ驚いたような顔を見せてくれて、ゆっくりとその箱に手を触れた。
 私の手に少しだけ、重さがかかる。その重さはすぐに消え、雨はラッピングが施された箱を受け取ってくれた。


「ありがとう、綺麗なラッピングね……奏が施したように見えるわ」
「ど、どうしてわかるの?」
「クリスマスの時ももらったから、なんとなく」


 クリスマスの時はもっとぐちゃぐちゃだったのに……。でも、そんな些細なところにも気づいてくれて私は嬉しいよ。


「開けて見ても、いい?」
「うん、気にいってくれると嬉しい……な」


 そういうと雨はリボンを丁寧に解いていき、ゆっくりとその手で箱を開いた。


「これ……私が見ていた腕時計……」
「雨が素敵だって言ってたから絶対これにしようって思って……」
「ああ……もう、私ったら。いつから強欲になってしまったのかしら」
「あ、あぁ……雨、泣いちゃダメだよ!」
「奏が泣かせてるのよ。もう、嬉しくても笑顔なんて出せないじゃない……」
「そ、それは……えっと……うぅ……」


 でも涙を拭う雨はすごく嬉しそうだった。もっと違う方法を考えないと、雨の笑顔は見れないかもしれない。でも、今はこれでもいいや。雨の表情は少しずつ出ているはずなんだから。


「奏、ありがとう……本当にありがとう……」
「もぉ、涙でくしゃくしゃじゃん……無理に笑顔を頑張らなくていいんだよー?」
「ぐす……難しいわね、笑顔って……頬が痛くなってしまうわ……」
「ゆっくりでいいから……私がいつか自然に出させてあげるからね?」
「奏といれば毎日が楽しいから、きっと大丈夫ね……」
「そうそう、私に任せておいて!」


 私は自分の胸をポンと叩く。
 とにかく、今の雨のままじゃどこにも顔は出せない。彼女の表情は涙に濡れ、何とも言えない表情だったけど無表情では無いと思う。
 これもまたいい傾向だ、雨はきっと感情と表情の豊かな子になれるはず。


 私は私を信じる。だから、きっとできるよ。雨の為なら、私はなんだって。