二日後


 春休み気分がようやく抜けてきたのに、来月になればゴールデンウィークという五月病を引き起こす大型連休がある。
 休みはいくらあっても大歓迎だけど、その後学校にいくのは辛い。これは誰もが通る道なんじゃないだろうか。
 今日の学校帰り、雨と私は特に寄り道もせずに家へと帰ってきた。


「はぅ……休み明けは辛いですよぉ……」


 そんなことをいいながら白いソファへと寝そべり、だらけ始める私。


「奏は早めの五月病みたいね?」
「え……春休み気分が抜けてきたって思ったのに、既に私は五月病にかかってるの……?」
「ほら、ゆっくりするのは後にして、早く着替えないと制服がシワになってしまうわ」
「雨ってなんだかお母さんみたい……」
「お母さん……というか保護者なのは間違いないわね」
「また子ども扱いされてる気がする⁉ それにこの話、前にもした思い出があるんだけど!」
「何言ってるの、私も奏も子どもでしょう? だったかしら」
「そうそう、それ!」


 私は少しだけ懐かしく思いながら、着替えるために部屋へと戻っていく。制服でいるのも悪くないけど、やっぱり家では部屋着が一番だ。
 着替えをすませ、リビングへと戻ってくると既に雨は着替えをすませていて、夕食の準備に取り掛かっていた。
 出ている食材は多い、今日は手の混んだ料理を作るみたい。


「雨、今日は何かいいことあったの?」
「ええ。だから料理を豪華にしたいのだけど、いいかしら?」
「うんうん! いいよ! 後でいいことの内容を聞かせてね!」
「ええ、是非」


 雨にとって今日はどんないいことがあったのかな? 学校ではそんな素振りをまったく見せなかったけど、後で聞かせてくれるなら今考えていても仕方ない。
 私は考えるのを打ち切ると、彼女と一緒に料理を作ることに専念するのであった。
 けれど――


「結局、私の出る幕はなかった……」
「そんなことはないわ。奏がいてくれて助かってるのだから」


 こう言ってくれてはいるけど雨がする料理は、すごくテキパキとしていて、私がいるほうが邪魔になるんじゃないかと思ってしまうほどに手際がいい。私がやったのなんてお皿を出すくらいなもの。
 今日の夕飯はハンバーグ、それとなぜかオムライス。謎の組み合わせではあるけれど、どちらも私の好きな食べ物で不満なんてない。二つの好物を同時に食べられるなんて贅沢な夕飯。
 それで料理ができたと思えば今度は鶏のから揚げまで。備え付けにはポテトサラダも用意されていて、流石に二人では食べられそうにない。


「あ、雨……ちょっと張り切りすぎじゃない? それに、私の好きなものばっかりだし、本当にどうしたの?」
「せっかくだから、奏の好物を私もいただかせてもらおうかと思って。残ったら明日の弁当用にするつもりだけど、ダメかしら?」
「ううん、すっごく嬉しいよ! でもさ、どうして急に……」


 雨はフライパンから最後の唐揚げを取ると油を切り、お皿へと盛り付け私に手渡してくれる。


「先に食べましょう。冷えてしまっては美味しくなくなるわ」
「あ、うん……」


 そういって私の隣を通り過ぎ、ダイニングテーブルに着席する雨。何かを隠しているわけじゃなさそうだけど、自分が何かを忘れているような気がしてならなかった。
 彼女の対面へと座ると、二人で手を合わせる。


「「いただきます」」


 口を揃えて食事を始める私たち。やっぱり気になるものは気になるようで、雨へ今日はどんないいことがあったのか聞いてみることに。


「ねぇ、雨。学校でいいことでもあった?」
「いえ、いつも通りだったわ」
「じゃあ――」
「奏、お喋りもいいけれど……まずは料理に手をつけてほしいわ」


 そう言われ自分が何も手につけてないのを思い出す。冷めない内にって言われてたのに、知りたいから先に聞くなんて子どものやることだ。
 私は反省し、手にスプーンを持つ。


「ごめん、雨がせっかく作ってくれたのに……よし! 先にいただいちゃう!」
「ええ、どうぞ召し上がって」


 ふわふわな卵の乗ったオムライス。
 これは私が小さな頃から大好きだったものだ。やっぱりどんなに大きくなったとしても、子どもの頃に好きだったものはそう変わるもんじゃない。
 卵にスプーンを押し当て、切り開いてみると――


「わぁ……絶妙な半熟、レストランで食べるようなオムライスみたい」
「前に作ったときもそんなことを言ってたわね」
「むぅ……何度だって言っちゃいたくなるんだよー」


 ケチャップライスと共に、卵をスプーンに乗せると一口。


「んんっ……! おいひい!」
「よかった、今日も上手くできて」
「なに言ってるのさ、雨の料理はいつも上手で美味しいでしょ?」
「奏はそう言ってくれるわね。ん……うん、こっちのハンバーグも美味しい」


 雨は一口大に切り分けたチーズインハンバーグを食べると、そう言った。


「えへへ、雨もハンバーグとオムライスは好き?」
「そうね、奏の好物は私の口にも合うわ」
「んー? そういえば、雨の好きな食べ物ってなんなの?」


 少しだけ疑問に思ったので聞いてみる。特に好き嫌いするタイプではないのは知っているけど、雨の好きな食べ物がわかれば今度私自身が作ってあげることも可能かもしれない。
 彼女は少しだけ悩んだ風に虚空に視線をあげ、思いついたのか私の方を見ると、


「特に無い……って言ってしまえば困るわよね」


 雨らしい返答が返ってきた。それでも「困るわよね」と言ってくれるのは私を気遣ってくれてのことだと感じる。
 だから私は首を振った。


「ううん、なんとなく雨だったらそう言うかなーとは思ってたから。もしあるなら、私が今度作ってあげたいなって」
「それは……自分の好物を探さなければいけないわね」
「えーっと、雨さん? なんでそんなに意気込んでるのかな……というか私、料理はあんまり上手じゃないからお手柔らかにお願いしますね……」
「それじゃ満漢全席でお願いしようかしら」
「ちょっと! 私が作れそうにないもの選んだよね⁉ そもそも雨はそれ全部食べれるの⁉」
「奏が作ってくれるのなら、食べてみせるわ」
「もーそろそろ冗談で話し終わらせるところでしょ⁉ このまま収集がつかなくなるって!」
「半分本当で半分冗談よ」
「あーはいはい……もう雨には料理作ってあげないから」
「奏、オムライスが食べたいわ」
「雨、今食べてるよね⁉」


 そんな談笑を続けながら私たちは楽しい夕食を過ごしていく。
 雨は本当に私を楽しませてくれる天才かもしれない。こんなに楽しい夕食を過ごすことができるのも、雨が私をあの地獄から救ってくれたからだ。本当に、本当に嬉しくてふとした時に涙が出そうになるのは、きっと今が幸せだと感じるからなんだと思う。
 それから料理をお腹いっぱいまで食べ、残ったものは明日の弁当の為に冷蔵庫へ入れる。
 その後だ、ダイニングテーブルにお互いが座って食休みをしているところ。


「奏、少しいいかしら?」
「ん? どうしたの?」
「今日、私にとってのいいことを教えていなかったと思って」


 私もそのことについて忘れてたわけじゃない、雨が聞かせてくれると言っていたので待ってただけだ。彼女はそういうと自分の部屋へ戻り、しばらくして大きな紙袋を持ってくる。
 雨の上半身と同じくらいの大きさの袋。それには何が入っているのか検討もつかない。


「今日、奏の誕生日……よね?」
「え……あっ!」


 そうだ、今日は私の誕生日だった。そう、十七歳になる誕生日。随分祝われてなかったから、自分の誕生日すらも忘れてしまっていた。特別な日じゃないとそう思い込んでいたんだ。


「よかったわ。奏は別段変わった様子を見せないし、奏の誕生日を私が間違っているのかと」
「ご、ごめん……実は今日が誕生日だってこと忘れてたんだ。そっかぁ……だから、あんなに私の好きな食べ物を」


 少し考えればわかったものの、雨にいいことがあったんだとばかり思っていた自分に恥ずかしくなる。


「誕生日というのは特別な日なのでしょう? 奏にとっての特別な日、それは私にとっても特別な日であって、とても喜ばしいことよ。でも、私にはその……誕生日というのがどう祝ったらいいのかわからなくて。……プレゼントを渡すというのがいいのよね?」


 そっか、雨は誕生日を祝ってもらったことがないんだ。それでも自分なりに私の誕生日を祝ってくれている。
 何年ぶりくらいだろう、こうやって自分の為に誰かが祝ってくれるのなんて。それも大好きな友人が私の為に。夢じゃないのかと思ってしまうくらいに幸せで、涙が零れ落ちそうになってくる。
 雨はその手に持った紙袋を下ろすと、中から綺麗なギフトラッピングが施されたプレゼントを取り出してくれる。


「……奏、十七歳のお誕生日おめでとう」
「雨……っ、もう! もうっ!」


 手渡してくれるプレゼント、それを受け取ると私はそのまま雨へと抱きついた。嬉しさと同時に一つの誓いを立てる。
 今度は、そう今度は。


「雨の誕生日は私が祝う……雨が今まで祝われなかった分、私がいっぱいおめでとうって言う。絶対、ぜったい私が祝う。すごく大きな誕生パーティみたいなことはできないけれど、今年の誕生日は……楽しみにしていてほしい」
「奏……」


 抱きしめる腕が自然と強くなる。プレゼントが潰れちゃいそうになるくらいに力が入ってしまうけど、なんだかラッピングに包まれたプレゼントは柔らかい感じのものだった。


「もう……これではどっちがプレゼントをもらったのかわからないわね。でも、奏が言ってくれた言葉、すごく嬉しい。楽しみに待っているわ」
「……うん」


 抱きしめた体とプレゼントを一旦離す。
 私の目には、少しだけ目を潤ませた雨の顔が映り込む。彼女はその赤い眼を手で拭うと、私へ今度こそちゃんとプレゼントを手渡してくれた。
 すごく大きなプレゼントだけど重くはない。一体、なんだろう。


「開けてみて、気に入ってもらえるといいのだけど」
「うん、じゃあ……」


 丁寧に包装紙を開いていく。柔らかな物体、色は薄い茶色、これは一体――。
 姿を全部現したそれは。


「これ……ぬいぐるみ? すっごい大きいけど……」
「ええ、作ってみたの」
「作った⁉ 雨が⁉」


 持ち上げて、何のぬいぐるみなのか観察していく。すごくふかふかしていて、なんだかとても可愛い感じのこれ。何かの動物のようだけど……。


「そっちはお尻よ」
「え、じゃあ……こっちが顔?」


 くるりとそのぬいぐるみを回すと、ぼーっとしたマヌケそうな顔が写り込んだ。こ、これは……。


「か、カピバラ? なにこれすごく可愛い……」
「正解よ。初めてであまり上手くはできてないのだけど」
「や、上出来ってレベルじゃないよ! これ、もらっていいの⁉ すごく嬉しいんだけど!」
「え? ええ、奏へのプレゼントなのだから……」
「や、やったぁ! わーい! じゃあ、なんて名前をつけようかな、カピバラだから……んー、よし! これから君は『カッピー』だっ!」


 とても可愛いプレゼントに私のテンションは跳ね上がり、雨を置き去りにしてぎゅーっと抱きしめる。


「はぁぁぅ……ふかふか、もふもふ、とっても癒やされる感じがするー……」
「か、奏……? 随分だらしない顔をしているけど……喜んでもらえたのなら、よかったわ……」
「もう完璧だよー……雨、本当にありがとう! カッピーもお礼言ってるよ!」
「え、ええ。もう一つあるのだけど……渡したほうがいいのかしら……?」
「な、なになに⁉ まだあるの⁉」


 私はカッピーを抱きしめたまま、雨へと詰め寄る。恐らく私の目はキラキラと輝いていることだろう。すると、今度は可愛い小さな袋を手渡してくれた。


「カッピーよりも随分小さいね。開けてもいいかな?」
「ええ、どうぞ」


 袋の口を開き、中から小さなプレゼントを取り出す。小さなクリーム色のキーホルダー、これも動物のようだ。


「ラッコのキーホルダー? これも、雨が作ったの⁉」
「そうよ。大きなぬいぐるみよりは簡単だったけど、気に入ってもらえたかしら?」
「大きなぬいぐるみじゃなくてカッピーね! それにしてもラッコとカピバラ……雨の動物を選ぶセンスは謎だけど、どっちも可愛いから問題はないね!」
「そ、そう……喜んでもらえて嬉しいわ」


 目を瞑って笑っているような顔のラッコのキーホルダー。せっかくもらったのだからこの子の名前も付けてあげないといけない。


「名前つけようとしてるわね?」
「う……バレてる?」
「バレバレよ。でも、奏らしくていいかもしれないわね」
「奏らしいって! 雨が褒めてくれてるよ! やったね、『ラッピー』!」
「え、いつ付けたの? それに名前似てるじゃない、わからなくなるわ」
「わからなくはないよ! ラッコのラッピーに、カピバラのカッピーだもん!」
「そ、そういう基準でつけてるのね……」
「うん! そう! 雨、重ねてになるけどこの二人をどうもありがとうございます!」


 深々と私はお辞儀をすると、雨は少しだけ困惑してしまったようだった。
 そんな雨を気に留めないくらい私は素敵なプレゼントをもらって舞い上がり、ラッピーは家の鍵へと付けて、その日はカッピーを抱きしめ眠りにつくのであった。